Ce n'est pas aucun usage qui pleure sur lait du spilt. 中編
一樹(漢字は一樹が自分で当てた)の様子が変、というのは今に始まった事ではない。
いつもだってやけに俺に顔を近づけて話すし、外に出るのをあまり好まない。ついでにネズミは大嫌いだ。しかも猫は気まぐれとかいう話が嘘かと思うぐらいに俺に懐いて、仕事から帰ると奴が傍にいる時間の方が少ないぐらいだ。
しかし、今回は様子が違う。
まず、いつもは家事をてきぱきこなしているのだが、何処か気もそぞろで集中力を欠くようになった。かといって俺が手伝おうかと問うといいえいりません、貴方は仕事でお疲れなのですからゆっくりしていて下さい、だの、いえ、先にお風呂へどうぞ、だの、妙な理由をつけて断る。
ついでにあれだけ俺に懐いていたのに約半径一メートル以内に近づいてこようとしない。ついに猫の本性を思い出したか、と思って一樹の方を見ると何故か大抵俺の顔をじっと見つめている。訳が分からないにもほどがある。ついでに当てもなく家の中を歩き回る事も多くなった。
いったいこれは何なのだ。奴は半分人間といってもいい謎の猫耳青年X(ちなみにズボンに隠れて滅多に見る事はないが、柔らかそうな尻尾も生えている)なので、ネットで調べても情報を得られるかどうか。前探したら忌々しい事に猫耳美少女のイラストページばかりヒットした事を思い出すとどうにもやっていられない気がする。
だが背に腹も変えられない。動物病院に連れて行ってもふとした拍子に人型になってしまっては困るのだ。
そして、パソコンを起動して調べてみた俺は、結果――
「なんですかこれ」
「察しなさい」
向かいの席で頬を引き攣らせる猫耳美青年の前に、18歳未満は見てはいけない系の…まあ、そういう類のDVDを机越しに差し出す羽目になったのだった。
「…アダルトビデオ、ですよね。前、パソコンで見ました」
ああそうか、それなら話は早い。これはレンタルビデオ店の隅っこで借りる事が出来るから、まあなんというか…そういう事だ。
「そういう事って何ですか」
「いや、だからさ、お前…その、今」
ぼそぼそと続きを告げ、頭をかいて視線を逸らすが一樹の視線はまだ痛い。勘弁してくれ、俺はこれしか思いつかなかったのだ。
外の猫の鳴き声がうるさかったわけである。俺の顔を何故見つめていたかは知らないが、しばらくの外泊許可を求めたがっていたとかその辺だろう。
そわそわするのも当たり前だ。だって古泉は、
――発情期、
なのだから。
だからこそ息子の部屋でエロ本見つけちゃった母親の心境ってこうなのか、なんて思いながら恥を忍んで我らが飼い猫一樹君用のモノをレンタルビデオ店で選び取ってきたのだ。一樹が猫耳美青年なので去勢するわけにもいかないし、一樹の俺は、これを味わって何とかしなさいというしかないのである。
しかし恥を忍んで借りてきたDVDを前に、何故か一樹は動こうとしない。笑顔で感謝だとかして欲しいわけでもない。だが察して受け取るぐらいにはお前の頭は良いはずだろう? だから素直に受け取りなさい。そしてこっそり使いなさい。
「……使うんですか?」
一樹が暫くの沈黙をようやっと破ったが、俺にはその言葉の意味が分からない。首をかしげる俺に、一樹は珍しくいつも穏やかなその顔を崩して眉を寄せ、琥珀の瞳を細めてさらに聞いてきた。
「こういうモノを…あなたも、お使いになるのですか?」
「はあっ!?」
何を言っているんだ。確かに使う。ほんのたまに使うが、それをここで、しかも猫耳と尻尾を覗けば精神年齢も肉体年齢も同じ男相手に明言しろと言うのだろうか。
「いや、その、確かにだな、えー…」
俺がしどろもどろに何とか主人としての威厳というか男同士のプライドというかとりあえずそんなものを取り繕おうとしている間に、そうか、やっぱりそうですよね、と一人で頷いて一樹が腰を浮かせ、テーブル越しに俺に顔を近づける。久々ではあるがどうしたんだと言う暇もなくぐいっと顔を引き寄せられ、大学で最後の彼女と別れてから久方ぶりの柔らかな感触を唇に感じた。
――キスされている。そう理解した時には上手い事一樹の舌が半開きになっていた俺の口に侵入し、舌を絡ませ思う存分その中を貪っていたところだった。
思わずくぐもった声を上げ、一樹の肩を掴んで抵抗したところでやっと奴は俺を解放する。あ、唾液が口の間に糸を引いてこれどこのエロゲ――じゃなくて。
「おい一樹、いきなり何するんだ!」
「――やりたい事を、やっただけです」
混乱する頭を無理矢理どうにか整理して放った一言に、一樹は今まで見た事のない瞳で俺をまっすぐ見つめてそう返す。
いつもの笑顔とはかけ離れたぐしゃぐしゃの、泣き出したいのか何なのかよく分からない表情をたたえた顔の中で、ぎらり、とその琥珀の瞳が光った気がして、俺は動けない。なんだ。なんなんだ、一体。
ぐしゃりと表情を崩し、瞳を細め、俺をその視線で捕らえたまま一樹は唇を動かす。
「雌猫なんかどうでも良い。女の人も抱きたくない。興味なんてないんだ。
だって僕は貴方が好きだ」
―――貴方を、抱きたいんだ。
一樹の瞳は、最早あの日の子猫のものではなかった。縋り付くような、泣き出しそうな瞳ではある、けれど――奥に潜む鋭い光が、それが俺を射貫いている。
それに縛り付けられるように俺は動けない。
「冗談は、止めろよ、一樹…」
やっとの事で発した言葉を聞いて、一樹は寂しげな、何処か泣き出しそうな顔で笑った。
「さよなら。愛してます」
「え」
さよならって何だ。そう言うより先に一樹はさらりとそのミルク色の髪をなびかせ、俺に背を向ける。
待て、と言おうとしたけれど言葉が喉につかえて、俺は何も言う事が出来ず、呆然とそのまま椅子に崩れるように座り込み、ドアが開いて閉まる音を聞き届けるしかなかった。
なんで出ていくんだ。なんでそんな事を言うんだ。そう思うけれど、その疑問に答える事の出来る男は、もう既にそこにはいなかった。
*
雨が降っている。今夜中には止むらしい。街灯に照らされる小雨は綺麗で、けれど俺はそれをぼんやり眺めるだけだ。
マンションのエントランスを抜け、エレベーターで部屋にたどり着き、ただいま、と誰もいない部屋に声をかける。帰ってくるのは僅かに反響した俺の声と静寂ばかり。おかえりなさい、と返ってくるあの柔らかい声はない。揺れるミルク色の猫耳と、柔らかな猫耳と同じ色の髪もない。
今日も一樹は帰っていない。それを実感して、溜息が出た。
「まあ、当たり前か…」
奴が出ていって三日。俺はまだこの生活に慣れる事が出来ない。四年間同居していた男の存在がこんなにも大きいものだったとは、正直驚きだ。失って初めて分かる、とはよく言ったものである。
冷蔵庫を開けて一樹が買いだめしていた食材を確認し、昔一樹が来る前にやっていた時の杵柄で一人分の料理を作る。当然食材は半端に余るのでそれをまた冷蔵庫にしまう。
一人で食卓に座り、頂きます、と手を合わせてそれを食べる。味なんかは二の次の、食べられれば良いだけの料理はひどく味気なかった。一樹は俺の飼い猫のはずが、これじゃあまるで俺の方が餌付けされてるじゃないか。困ったもんだ。
思わず苦笑する。だからといって一樹がまた料理を作ってくれるという事はないのだろう。多分ずっと永遠に、俺が一樹を捜し出せない限り。
湯を沸かして風呂に入る。お背中流しましょうか、いやいらん、とか冗談交じりに交わしていた会話が懐かしい。あれ? というかもしかして、一樹は本当にそういう事をしたかったのだろうか。俺の事を好きだと言ったし。
そんな事をぼんやり考えながら用を済ませて風呂から上がり、体を拭く。顔を拭いて、ついでに唇に触れる。入ってきた舌の感触もまだ生々しい気がする。一樹はどうしてこんなものに口づけたのか。俺はどこにでもいるような平々凡々な顔をした凡人である。ひとかたならず妙な生活を送ってはいたが、それは拾われた一樹がそういう猫だった事に起因するのであって、あいつにそういう意味で好きだと言われる要素が見あたらない。
しかしあいつはそう言って出て行ってしまったわけだ。そして戻ってこない。
体を拭いて着替え、ソファーに座ってテレビをつけてぼんやり眺める。バラエティでも見るかとチャンネルを回すが、ニュースと良く分からんドラマしかやっていない。
ニュースを見ると、連続殺人事件だの、明日の天気だの、スポーツだのと忙しい。適当に頭に入れていると、動物虐待のニュースが出てきた。あいつと同じ茶色の猫だか犬だかが映って急いでチャンネルを変える。
見慣れたゴシック体の題名と共にスタイリッシュな音楽が流れ、サスペンスあり恋愛ありの45分ドラマが始まった。ストーリーは単純と言えば単純、複雑と言えば複雑だ。とある会社員の男とその部下の女を主軸に登場人物達が事件を解決してゆく。
まとめてしまえば、部下の女が原因で巻き込まれた一見冴えない男が友人の助けを借りて事件を解決する、それだけなのだが、部下の女と友人の奇妙な緊張状態、男の過去、奇想天外なトリックなどなくとも視聴者を驚かせる展開、その見せ方、全てが面白い。特に友人に推理を聞かされたあとの男の活躍が見ていてかなり楽しい。
一樹がやけにはしゃいでチャンネルを変えさせてくれと言ってくるので見だしたドラマだ。先週までは隣に一樹がいて、二人で盛り上がっていたものだ。
今回の話も面白かった。友人がまず騒動に巻き込まれるという珍しい始まり方で、しかしいつもの味は損なわれていない。一気に引き込まれるように見て、最後の締めでほう、と息をつく。
最後に、元気に駆け回る部下の女を見ながら、友人が男に言う。あのことはもうどうしようもないんだ、分かっているだろう、と。
『終わった事を、いつまでも引きずるな』
男は答えない。その映像に、今まで所々で映っていた髪の長い少女の影が重なり、これまたスタイリッシュなエンディング曲が流れて終わり。
ほう、と息をつく。
「次はどうなるんだろうな、いつ――」
き、と隣に呼びかけようとして、その存在がいない事に気がつく。
こんな事はこの三日間何度もあった。だからもう慣れても良いと思う。だというのに、ドラマに引き込まれていたせいか、熱いものが胸からこみ上げてきて止まらない。
あ、と思った瞬間にはもう、涙が頬を伝って流れていた。
あの時俺はどうしたら良かったのだろう。一樹を受け入れれば良かったのか? そうすれば、一樹は俺の隣で笑っていたのか?
終わった事は取り返しがつかない。俺があの時ああして、一樹が出ていった事は買えようのない事実だ。
俺があの時ああされて、咄嗟にどうしようもなくって、一樹は勝手に一人で完結して出て行ってしまった。それでも悲しい。あれだけのイケメンで、しかも発情期だ、おそらく何処かのメスかもしかすると俺と同じ人間の女達と今頃は楽しくやっているだろう。そう思っても俺の涙は止まらないのだ。
いや、それどころか、胸が痛くてたまらない。もしかすると猫の社会だか何だかに適応する事が出来ないで、もう、本当の意味で一生会えない事態になっているんじゃないかと思うとたまらない。他の誰かが一樹のあの瞳を、あの鋭い光を見る事があるのだと思うとたまらない。
俺は一樹が好きなのだ。あの猫耳美青年が、どうしようもなく好きなのだ。
今、やっと実感するだなんて。いや今だからこそ実感したのだろうか。一樹がいなくなって俺は血迷ってしまったのだ、きっと。頭がおかしくなったのだろうか。多分、いや確実にそうに違いない。
俺は泣いた。声を上げてひたすら泣いた。
ぎゅる、とビデオテープの巻き戻る音がする。ああそうか、一樹が毎週の設定で録画していたテープが巻き戻ったのか。
どうやらいつの間にか眠っていたらしい。取り出して新しいテープを入れなければ、とぼんやりした頭で思う。目のあたりがどうもはれぼったかった。唇に柔らかな感触がする。何だろうか。
ぼんやりと薄目を開けながら、体に毛布が掛かっているのに気がついた。ああ、また一樹が掛けておいてくれたのか。
そう、――一樹が。
一瞬で意識が覚醒する。目を開けると、一樹がそこにいた。
「一樹…!?」
「なっ…!」
いきなり目覚めた俺に驚いたのか、一樹は後ずさる。
「お前…!?」
「すみません、僕…どうしても、貴方の傍に…一度で良いから戻りたくて…」
ごめんなさい。俯くその肩が震えている。唇に手をやるとまだあの柔らかい感触が甦ってきた。どうやら一樹は戻ってきたあと、俺が眠っているのをこれ幸いと俺の唇を弄んでくれたらしい。
けれど俺の頭は相当やられてしまったらしく、それを嫌だとは思わない。
「ごめんなさい、僕、僕は貴方の事を」
「じゃあ、ずっとここにいろよ」
咄嗟に引き留めようとした一言が何か続けようとしていた一樹の言葉に重なる。毛布を引きずって近づき、頬に触れると、一樹の体が跳ねた。雨に当たっていたのか、ずいぶんと湿っている感触がする。
「お前がいないとかなり不便なんだ。その上寂しいときた。だからここにいろ」
手前勝手な理屈ではあるが結構筋は通っている気がする。だって一樹がいないとあの飯が食えない。帰ってきても一人だし、テレビを見ていても隣に座って泣いたり笑ったりしている奴がいないと面白味がない。正直言ってさっきの打撃は致命傷に近かった。ついでに俺の頭がどうにもいけない方向に向かっている事も判明したしな。
一樹はといえば呆気にとられたような顔をして俺を見ている。出ていった時とは違う意味でご近所でも評判のイケメンが台無しだ。
「異論はないな。じゃあとりあえず風呂入れ。元は猫っつっても風邪引くだろ」
そう言って明日の洗濯用に取っておいていた風呂の水を沸かすために立ち上がろうとすると、いきなり一樹が俺の腕を引っ張り床に落ちていた毛布の上に押し倒した。いや、押し倒したというのは語弊があるかもしれない。ご丁寧に頭に手を添えながら床に勢いよく片方の肩を掴まれて横たえられたと言うべきか。フローリングに頭をぶつけるのは確かに痛いから助かるのだが、他の場所が僅かに堅い床に当たって痛い。そこにあるソファの上に押し倒すとか更に気を使えないところがこいつのこいつたる所以か。
「…あなたは、何も分かってない…」
言いましたよね、と俺を見下ろして一樹が呟く。
「僕は、貴方を抱きたいんだ。貴方が傍にいる限り、僕は貴方を抱く。
たとえ貴方の意志が伴わなくても、貴方を犯すんだ」
その声が俺の鼓膜を震わせ、更に体も震わせる。動けない俺を見て、一樹はまたあの悲しそうな笑みを浮かべたが、前とは違ってその口元が徐々に歪んでいって、自棄になったような笑顔に変わっていく。日頃から思っていたが、つくづく笑顔のバリエーションが豊富な奴である。
「…もう、いいです。今から貴方を抱く。抱けないなら出ていきます。逃げるなら逃げて下さい」
俺はまだ動く事が出来ない。その鋭い瞳が俺を縛り付けるようにして逃がさない。
…いや。
俺は動かないのだ。逃げる事を元々考えてなどいないから。
「戻るかわりに抱かせろ、と」
「そうです。次の発情期にはどうなるか分かりませんが、とりあえず一回、というところでしょうか。なにせ僕は貴方以外抱けませんからね。そういう生き物のようです。ついでに我慢もききません」
他の猫も人も駄目だったのにね、と笑って一樹が俺の服をまくり上げ、胸を撫でる。
「…なあ一樹」
「はい」
「俺の意志は聞かない訳か」
「分かってますから」
「そうか」
ぞくりと震える体を隠さず聞いてみたが、返ってきたのは何となく予想していた答えだった。どうもこいつは根本的な間違いを犯しているようだ。今まであれこれそれでまるでどこぞの亭主関白の如く用を済ませてしまっていた身としては勝手な話だとは思うが、つくづく人の話を良く聞くよう教えておくべきだった。
一樹の唇が落ちてくる。乱暴にその舌が俺の舌を絡め取る。それに合わせて俺も舌を絡め、一樹の背中に腕を回して抱きしめた。
驚いた様子で唇を離して見下ろしてくる奴の顔がさっきまで人を犯すだの何だの言っていた男のものかと思うと面白い。
「一樹よ。俺はお前のせいで人生計画を崩していくわけだが、そこのところは分かっているのか?
俺としてはそこそこ普通の会社に就職したあとは普通に普通の嫁さんを貰ってまあ普通に一姫二太郎三なすびとかそう言う人生を送るつもりだったんだ。間違っても男に抱かれる抱かれないなんぞという問題で悩むつもりもなかったし、ましてやこんな状況に陥るなぞ考えてもいなかった。それがもうお前がいないと飯は不味いわ涙ちょちょ切れるわでたまらんわけだこの阿呆」
「え、えっと…」
なんと答えて良いものか分からないらしく頬を引き攣らせた困り笑顔とでもいうべき器用な表情をたたえた一樹に更に畳みかける。まだ整理がつかないのだろう。少し遠回り過ぎたか。しかしそうでなければ確実に顔が赤くなっていたからだが、こうなっては仕方あるまい。俺の頭も相当末期のようだ。おかしい事に気づいたのはついさっきだが、おそらく過去四年間でいつのまにやらこうなっていたのだろう。
「要するにだ。俺はこういう事がどういう訳か嫌じゃない。人生計画が狂ってもまあ良いと思ってる。
お前もそう思うのなら、床が痛いんだからもっとマシなところに運べ。
…もうすこし、丁寧に、しろ」
一樹はぱちぱち瞬きをして、
「…あの」
とまたよく分からん呼びかけを発して俺の服から手を抜く。なんだ。いっとくかここまでで俺は限界だぞ。自分でも分かるぐらい頬も結構熱いし心臓も鳴ってるんだ、わからんかこの馬鹿猫。
「…それって、僕の好きなようにとって良いんですよね」
「…察しろ」
一樹よ、ちょっと嬉しそうな顔をするな。また顔面温度が上昇するだろう。思わず奴から目を背けると、項に柔らかい感触が走る。俺の頭がおかしくなっているというのは何度も言及したとおりだが、こいつの頭の中も少なくとも俺よりはおかしいらしい。
ふわりと毛布ごと体が持ち上げられる。畜生、なんで家事ばっかやってたはずなのに腕力あるんだよお前は。つくづく嫌味な奴だな。
「すみません」
そういいながら一樹は先ほどまで俺が座っていたソファに俺を横たえ、また寝間着のすそから手を侵入させる。また性懲りもなく俺の体は震え、心臓がさっきよりも早く波打つ気がする。
「本当はベッドに運ぶのが良いんでしょうけど…」
一樹の両手が頬に添えられ、横を向いている頭を正面に向けられて唇を奪われる。
さっきの乱暴な口づけとは違うような、しかし貪るような舌使いに俺もかすかに舌を絡め返す。どこでどう学んだのやら、意外にうまいのがしゃくにさわるが、しかし今こいつと口づけているのは俺なのだと思うとたまらない。
存分に味わい尽くされ、次第に頭がぼんやりとして蕩けたところで一樹が唇を離す。唾液が口の間で糸を引いて、ああやっぱりえろいな、と思う。半分ぐらいは俺のであるが。
「ごめんなさい」
我慢できません。
一樹の貌は完全に欲情に染まっていた。鋭い光をたたえた瞳に、一樹の表情に、俺はもう動けないし動かない。
再び近づいてくる一樹の顔を見ながら、曖昧な意識の中で納得する。ああそうか、と。
この瞳は、雄猫の瞳。
俺に欲情する、一匹の動物の瞳だったのだ。
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