ごくり、ごくり、とミルク色の髪を震わせ、俺の首筋にかみついている男が喉を鳴らして俺の血を飲み込んでゆく。俺はその間壁に窓からの光が薄く差し込んで窓型の影を作り出しているのを眺めていた。
そして十回ほど喉を鳴らした後、その男は俺の首筋から顔を上げ、苦笑してその美しく整った形の唇から言葉を紡ぎだす。
「おや、どうも妙な顔をなさっていますね」
「そりゃあ当たり前だと思うぞ。首かまれてるっていうのに全く痛くもかゆくもない。普通不思議に思うに決まってるだろうが」
それなりに覚悟して血をやったんだぞこっちは。だというのに頭が当たっているのが分かるだけで吸われる感覚も何もないとか拍子抜けしたじゃないか。
「まあそうなんですけどね。すみません。血を下さい、と言って素直にやると言ってくれただけで御の字だというのに」
だってお前死にそうだったろう。流石に噛まれる瞬間はびびったが、まあ痛くもないしちょっと貧血っぽいだけだから許してやる。
そう言うと古泉がふふ、と妙な笑いをこぼしやがるのでなんだよ、と軽く睨むと、面白い方ですね、ときた。血を飲まんと生きられんとかいうお前の生態の方がだいぶ面白いと思うがな。
「いいですね、貴方。本当にいい」
「なんだそりゃ。とりあえず俺は下校途中なんでな、家に帰らせて貰うぞ」
下校途中に吸血鬼に捕まえられ廃墟に連れ込まれて血を吸われるなんぞという妙な体験自慢にも言い訳にもならん。幸い門限ぎりぎりだしとっとと帰って夕飯だ、と出口の方に向かおうとすると、背後から男が手首を掴んで引き留める。
「なんだよ」
「ひとつお願いがありまして」
「お願い?」
「これからも僕に血を下さいませんでしょうか」
はぁ? と眉を顰めると奴はまた苦笑して、最近血を提供してくれる方もいらっしゃらないんです、と女子が聞いたら騒ぎ出しそうな甘い声で囁いてきた。
そういえばこいつ、俺に縋り付いてくるぐらい腹減ってたんだっけ、と思い返して溜息をつく。
「いいよ。まあでも吸った後にジュースの一本でもくれると助かる」
「分かりました。善処します」
無職っぽい吸血鬼が真面目に言う様子がおかしくてついくくっ、と笑ってしまうと、俺の考えを察したのだろう、一応職はあるのですよ、と男は肩をすくめる。
「それでは、契約を」
「え?」
ふっ、と近づいてきた男に目を丸くしていると、軽く柔らかい感触が唇に触れて、そして離れてゆく。
白い息を吐き出して、その美しい男は笑った。
「印をつけました。これで僕はいつでも貴方の位置を特定できます。お役に立てそうな時は呼んで下さい。すぐに参ります。ただし、僕が飢えそうな時はそちらへ行って血を吸わせて頂きます。
飢えるといっても一週間に一度ぐらいですし、この廃墟に通って頂ければそちらに押しかけはしませんよ」
「は、お前、なんで…」
「唇でなくても良かったんですが、まあしょうがないですね」
僕は貴方を愛してしまったようです、と妙に幸せそうに笑ってそいつはマントを翻す。
「ちょっと待て!」
「はい、何でしょう」
「お前、…」
愛したってどういう事だとかなんでそれで唇を奪うんだとか色々聞きたいことが頭を駆け巡っているのに、俺の唇が紡ぎ出したのは結局一言だけだった。
お前の名前は何だ、と。
それを聞いた古泉はちょっと目を丸くして、嬉しいですねえ、なんて嘯いてから、
「古泉。古泉一樹です」
と答える。
「俺は、―――――だ」
とっさに返した俺の名を何度か小声で反芻し、古泉は床を蹴って俺の横に降り立つ。
「では、愛していますよ、―――――さん」
首筋に寒い空気とは正反対の熱い息がかかり、そこを押さえて古泉の方を向くと、もうそこに奴はいない。
「………」
こいずみいつき、古泉、一樹。
口の中で反芻し、血を吸われた所を触ると、まだ熱を持っているような気がした。
溜息をついて隅に置いていた鞄を持ち上げ、俺はゆっくり歩き出す。
おそらく契約なんぞなくとも、俺はここに来るだろう。あの美しい男に会いに。出会った瞬間に俺を縛って離さないあいつへの想いに従って。
けれどまだ、俺はこの、わけの分からないものをわけの分からないものにしておきたかった。
はっきりと認識した途端、おそらくもう俺を捕らえて狂わせてしまうであろう高ぶりが、なんだかなんて分かりたくない。
息を吸って吐くと、白い息が空気を揺らす。
ぺろり、と唇を舐めると、甘い味が俺を揺らした。