廊下を走ってはいけないというのはベタな注意文句である。だがどうにもこうにもいたしかたない―俺にとっては、であるが―理由で廊下を走ってしまうときもある。というわけで今現在俺はこれまたベタに廊下の角で荷物を持った奴とぶつかり、お互いにすっ転んでしまったのだった。
相手は可愛らしい女子というわけではなくわがクラスの誇る眼鏡男子、榊である。顔良し性格よしなのでただ単純に悪いことをしてしまった。
「悪い、大丈夫か榊」
というわけで精一杯すまなさそうな面を作りながら声をかけるとああ大丈夫だよと言って榊は起き上がり、ぶちまけてしまった書類を集め始める。ぶちまけさせた張本人なので俺もそれを手伝っていると、いやに榊がこっちを見てくるのに気がついた。
「なんだ、榊」
「あー…ええっと…」
榊はひょいと目をそらした後、うん、と一人納得するように頷く。何なんだと思っているとなぜか緊張したような顔で、
「キョン、ちょっとこれを運んで行くの手伝ってくれないか。重くってさ」
と言ってきた。まあぶつかったのはこちらだし運ぶのは吝かではないが、…榊、お前まで俺をキョンと呼ぶんだな。
「普段ちょっと見栄張って女子の荷物とか持ったりしてるんだけど、流石にこれは重くって。助かったよキョン」
「まあいいよ」
よっ、と弾みをつけてずり落ちそうになった書類を抱え込む。確かにこれは運ぶのが辛そうだ。しかし無理をすれば運べない量でもない。どうやらこれは譜面らしいのだが、グリークラブの雑用とやらは大変だな。
「いや、そういう事もないなあ。他の人は譜面台とか運ぶから」
そう遠慮勝ちに微笑む榊の歯は白い。先ほどの衝突で第一ボタンが外れてしまっているのだがそれでもなお女子の黄色い声が聞こえてきそうである。全く羨ましいことだ。しかも性格が良いのでヘタに憎みもできないあたりが榊の榊たるゆえんである。それでも男子の敵が多いあたりがなんとも言えんが。
目的地まで榊が妙に目をそらしたりちらちら見つめてきたりするのが良く分からんかったが、気にしないようにして歩いた。
「ああ、ここだ」
どうやら物置になっているらしい音楽準備室の扉を開け、榊がその中の机に書類を置く。俺も榊の指示にならってわずかに積もった埃を払って譜面を置いた。重かったので肩をならしているとまたも榊がじっとこっちを見つめてくる。
「どうした、榊」
どうにもたまらず聞いてみると、榊はさっと目をそらし、そしてまた決心した瞳でこちらをむいた。
「キョン。俺見ちゃったんだ」
何を。
「キョンが9組の古泉君と、放課後教室で…まあ、うん、そういう事をしてる所を一瞬」
一瞬何を言われたか分からなかった。ちょっと待て、見たってあれをか。あれを見られていたのか!?
ざんざか血をひかせている俺には関係なくあーすっきりした! と歯を光らせ、心配事が無くなったからか男前が一割増しの顔で榊が笑う。
「俺は誰にも話すつもりはないけど、誰が教室に来るか分かんないから気をつけたほうがいいよ。頑張ってな!」
じゃあな、と勝手に自己完結して足取りも軽く出て行ってしまった榊を追う気もなく俺は立ち尽くす。畜生古泉、やっぱり誰か来てたじゃねえか!
古泉とけんかして逃げていなければ知ることもなかった事実に俺は拳を握り締めた。古泉、女子を纏わりつかせていたことは勘弁してやる。だから一発殴らせろ!
End.