Maybe Blue Moon

そしてその数日後の大学からの帰り道、高校からの腐れ縁である谷口から声をかけられた。
「キョーン! 暇か? 明日合コンしたいんだが?」
「ん? また急だな。人数合わせか? まあもう古泉も刺されることはないだろうし、一応いけるが」
「おう、まあな。頼むよ。この通りだ。相手も美人ばっかりだぞ」
 今から鼻の下を伸ばす谷口を見て、こいつは本当に高校の頃から変わっていないと思う。美人美人って、お前の基準はそればっかりか。


「あれ、キョン君、その服…」
合コンの前日、夕食の後に服をタンスの奥から引っ張り出して準備をしていると、古泉がが首をかしげて聞いてきた。
「ああ、明日合コンにいくんだ」
「え、でもカレンダーには飲み会って…」
「合コンも飲み会の一種だろ」
「……はい。そうですね」
少し落ち込んでいるような様子で古泉がうつむく。
「どうしたんだ。お前みたいなイケメンが羨ましいって事もあるまい」
「本当にあなた、僕のことをどう思ってるんです…」
 うつむいたまま古泉はがっくりと肩を落とす。
「俺だってあんまり行きたくはないぞ、課題あるしな。でもつきあいってのがあるんだよ」
「そうですか。じゃあ、夕飯は冷蔵庫に入れておきますね」
「おう、頼む」
「お任せ下さい」
 そう言って顔を上げて古泉が笑うが、なんだか微妙に引きつっている気がする。気のせいだろうか。
「古泉? どうしたんだ? 体調悪いんだったら別にやめてついていてやってもいいんだぞ?」
「大丈夫です。元気ですよ。…ねえ、キョン君」
「なんだ」
「月が青いですね。……行ってらっしゃい」
 …本当に大丈夫か? 視覚障害出てるじゃないか。
 窓から見える白い満月を見ながらそう言うと、古泉はまた変な顔で笑った。


そしてめでたく合コンが始まったのであるが、俺の頭の中は混沌としたままだ。全くもって集中できない。
 しゃくに障る話だが、やはり古泉のことがどうしても気になるのだ。あのイケメンの事ばかり考えるのは不快だが、あんな素振りをされて気にならないものか? いや、気になる。
 というわけで、皆はカラオケなんぞを始めてますます盛り上がるわけなのだが、一方の俺のテンションはだだ下がりなのだった。
 しかも間の悪いことに合コンを行った店の飯が、美味しいことは美味しいが、古泉の作るものより不味かったのがいけない。テンションが下がっているものだから、これを食べている間にも古泉がエンゲル係数を上昇させつつ無駄なく材料を使って作ったこだわりの夕食の美味が損なわれているのだと思うととてもやってられん。古泉の料理の師匠たる奴の親父を呪ってやりたいぐらいだ。
 古泉には悪いが、帰ろう。このままだと他の人のテンションまで下げてしまうかもしれん。今帰っておくべきだろう。
 そう判断し、即座に割カン分を払って店を出て、とっとと家に帰った。
 帰るとまだあたたかい古泉のこだわりディナーが待っていた。遅くなると言ったのにわざわざ待っていたらしい古泉と一緒にそれをほおばる。ごくろうさまなこって。美味いな、と言うと古泉がとても嬉しそうに笑ったので、どうもこの選択は正解だったらしいと、なんとなくいい気分になった。


そうして非常に美味しい夕飯を味わった、三日後のことである。
「あんた、キョンだっけ?」
 大学構内で声をかけられ、振り返ると、先日の合コンで少し話した女が立っていた。
「ああ、そうだけど」
「覚えてるわよね。三日前に皆で食事をしたでしょ?」
「えっと…涼宮ハルヒ、さん、だっけ?」
「そう」
にっ、と笑った、飲み会でも中心になって騒いでいた涼宮ハルヒ嬢の言うことには、先日の合コンでなぜか一人だけテンションが違った上にとっとと帰ってしまった俺にいたく興味を引かれたので、ということだった。
一応は頼りになると自負している自分の人を見る目を信じると、関わり合いにならない方が良さそうだったのだが、強引に押し切られてしまった。あーもう俺流されやすいな、と頭を抱えそうになったのはいうまでもない。
そしてしばらく友達づきあいをして、結局そのままとんとん拍子に、いつの間にかつきあう寸前の雰囲気までいった。なぜかは不明だ。あの破天荒女は俺のどこが良かったのだろうか。
しかしいざ付き合うというまで深いつきあいはできていない。
なぜならば、デートのある時は俺が夕飯を作らなくていいとき、つまり古泉が夕飯を作るときだからである。
他の人はどうか知らないが、はっきり言って恋愛より俺は食い気だ。古泉の作る食事に関しては特にそうである。料理こそ、古泉に対して俺が素直に賞賛する事の出来る唯一の項目と言っても過言ではないのだ。大体そもそも、恋に恋するということすら今まで知らなかったわけで、そこまで恋愛にがっつこうとは思わん。そんな俺に、デートを時間通りに終わらせてほっかほかの夕飯を食べに帰る以外のチョイスがあるだろうか? いや、ない。しかも気のせいか、そうやって帰ったときのご飯はデートでハルヒに振り回された後心地よく疲れている俺をいたわるように、いつもより更に手が込んでいる気がしてますますやみつきになる。
しかしそんな微妙な状態もついに終わるときが来た。
 古泉が男友達――どうやら刺された後にできたらしい――と男だらけの飲み会に行くこととなり、その日にハルヒからお誘いが来た。
 古泉にそれを報告すると、お互い楽しんできましょう、頑張って、と笑って手をさしのべてくるので、それを握って握手。戦友の誓いである。
 そして、ハルヒといい雰囲気でデート開始。夕食を割カンでとる。俺が奢ろうとしたのだが、女子大生の生活力なめんじゃないわよキョンのくせに、と断られてしまった。
そのあと展望台なんかに行って、輝く街を上から眺めて、というおきまりのコースをたどる。
 で、二人して夜空を見上げたわけであるが。
「………」
「………」
何となく、どちらからも、何も言い出せない。
しかし思い切って口を開く。
「あ、あのな、ハルヒ…」
「何よ」
「……いや、その……」
無理だ。彼氏いない歴イコール年齢の俺にとって、このイベントは難しすぎる。いわゆる無理ゲーというのはこういうことか。

「あーもう、はっきりしなさいよね! なんかこう、月が青いね、とか詩的な言葉が言えないの!?」

……はい? ワンモアプリーズ。あなたなんて言いました?
「何あんた。知らないの? 有名な逸話よ?」
 いやいやとにかく詳細。詳細を説明してください。もったいつけずにさっさと説明を。
 いきなりその話に食いついた俺に戸惑いながら、ハルヒはその説明をしてくれて、――その話が終わるなりすまんと謝りながら踵を返して駆けだした俺に置き去りにされる羽目になってしまったのである。
 身勝手な事をしたものだと思う。けれど、駆け出さずにはいられなかった。古泉の馬鹿野郎の意図が、分かっちまったものだから。


 昔々、明治時代の話である。
 かの文豪、夏目漱石は作家生活に入る前、英語教師をしていた。
 ある英語の授業で、こんな問いが出た。
――I love you.を和訳せよ。
 生徒たちは次々に答える。
「愛しています、です」
「私はあなたを愛しています、です」
 しかし漱石はそれに怒った。日本男児はそんなことを言わない、と。
 では何とすればよいのか、と生徒たちに聞かれたとき、漱石はこういったという。

「月が青いですね、と。そう訳せば十分だ」


 わかりにくい。ものすごく分かりにくい。言いたいんならはっきり言えこのドアホの大ボケが。何とかして言いたかったんだろうが、中途半端に言うんじゃねえ。おかげでいろいろ無駄に悩んでしまったじゃないか。そもそも俺がそう言う方面に疎かったからいいものの、知ってたらどうするつもりだったんだ。
 そう思いながらも、たぶん古泉はあれで精一杯だったのだということも分かっている。
 俺と古泉は、高校の頃に出会った。そして、勿論不純同姓交友などとは別の枠組みで気が合った。その頃古泉と一緒に築いた思い出は本当にかなりのもので、今でも俺の中に、悔しいことに懐かしく息づいている。
 大学に合格した後、同じ大学に行くのだからと、当然のように同居を決めた。
高校時代に俺が古泉に感じていたものが友情以外だなんて、そんなことは全くないだろう。勿論、古泉も。
 けれど同居を始めて、次第に時を重ねて、情が深まっていってしまった。それで、古泉はいつの間にか、まかり間違ってそういうことになってしまったんじゃないだろうか。はっきり自覚したのは挙動不審が開始したあたりだろうが、当然のごとく俺はそんなことを知らないし古泉に友情以外のものを感じているはずもない。古泉の中では正真正銘、俺は友達以上恋人未満の存在だったのだろう。
 だから、遠慮した。我慢したのだ。好きだよといわず月が青いねと言った。そして俺がデートに出かける度、わざわざ手の込んだ夕飯を作って、俺を家で待っていた。あいつは、そこら辺は妙に無駄にうじうじしているのだ、イケメンのくせに。そして俺の心をそれだけ理解している。好きだと言ったら、気まずくなる可能性が高いということも、痛いほど分かっていたのだろう。
 だが残念だったな古泉。お前の意図は丸わかりだ。お前のライバルとも言える、あのツンとかデレとかを如実に思い出させるような、けれど無駄知識だけはいっぱい持っている涼宮ハルヒ様のおかげでな!
 アパートの階段を駆け上がり、表札に二人の名前が記されたドアを勢いよく開ける。
「……古泉!」
「キョ、キョン君!? どうしたんです、今日はデートで帰らないって言ってたでしょう!?」
 目をこすってダイニングで机に突っ伏していた古泉が飛び起きる。
 やっぱり早めに帰ってきていたか。俺は知っている。なんだかんだ言って古泉はどんなにもてても決して二股をかけることはなかった。それぐらい誠実で、そして歴代の彼女にはとても優しくて、彼女がご飯を作ると言えばそのまま作らせ、あえて自分では作らずににこにこと笑って待っているロマンチスト。だからこそ、失恋を部屋の中で味わっていたんだろう。ずっと。
 男だらけの宴会で失恋を誤魔化せばいいだろうに、気持ち悪い奴である。おそらく少なからず自分に酔っている。だけど俺は嫌いじゃない。そうでなければここまでずっと、同居なんてしてこれたものか。
 古泉がしょっちゅう彼女の家に転がり込んで、ほとんど一人暮らしになっていても、帰りを待っていれたものか!
 どかどかと音を立てて俺は古泉に大股で近づき、慌てて椅子から立ち上がった古泉の頭に手を伸ばして、がっ、とわしづかむ。畜生、身長差が悔しい。こういうときは上から見下ろして撫でてやるのが俺の理想だというのに。
「古泉!」
「な、何ですか!?」
一喝すると、古泉がぐしゃぐしゃの顔のままびくっと跳ねる。自然と腹の底から笑いがこみ上げてきた。
「俺は大学卒業しても、ずっとお前と一緒に住むつもりだ!」
 なあ、古泉よ。俺はお前のことを、お前と同じ意味で好きかといえば、それはまだ分からない。ここまでずっと、…まあ言うのは恥ずかしいが、親友出来たんだからな。
「彼女はもういい。作らん」
だがお前を振るつもりはない。都合のいい話だろうか。けれども、それだけ俺にとって、古泉との関係は、これもまた恥ずかしいが…大切なんだ。
「――就職しても出世しても転職しても転勤になっても、そもそも就職できんでフリーターになっても、絶対お前と一緒に住む。いいな!?」
 だから古泉、これが俺の精一杯だ。そして心からの本音だ。どうか勘弁してほしい。
――それでいいです、と、笑ってほしい。
「えっ、えっ、何、何ですそれ、キョン君どうしたんですか!」
「どうしたもこうしたもない。分かったか!」

 困惑した顔のまま、俺の勢いに押されて古泉は首を縦に振り、そしてその後改めて俺の顔をじっと見つめ、
「よく分かりませんが、嬉しいです。ありがとうございます、――さん」
そう言って俺の本名を呼び、ふにゃっと表情を崩した。ちょっとかわいいとか思ったのは秘密である。


 その後ハルヒに土下座する勢いで詫びを入れ、許してもらった。恋愛対象としてでなくとも俺の個性に本当になぜか興味はあったらしく、その後も少しは友達づきあいが続いていたのだが、ある日言われた。
「最近気づいたんだけど、しょっちゅう同じ授業になる古泉って人に睨まれるのよ。あれキョンの同居人でしょ? 何怒ってるのかしら」
 古泉よ。お前はどうも結構わかりやすかったらしいぞ。というかどこからハルヒの情報手に入れた。俺のストーカーをしていたとかだったら鉄拳制裁だ。
 そんなことを思って拳を握りしめていると、なぜか大爆笑された。理由を聞いても、別に、やっぱりキョンは見てると本当にいいわねとだけしか答えて貰えなかった。

 そんな感じで日々は過ぎてゆく。古泉は俺が古泉の想いに気づいているのを知ってか知らずか、彼女のいない日々をそれなりに楽しんで過ごしているらしく、女の陰すらちらつかない。意外に一途な奴だったようだ。
そして我が家のエンゲル係数は上がる一方。古泉が大学を卒業した後料理人修行に走らないか密かに心配だ。
 それでも多分、この妙な同居状態は続く。続けてみせようじゃあないか。
 まだ俺の胸の中にある古泉への感情は、はっきりとした変化を見せていないけれど、古泉はなんだかんだいって、とてもいい奴なのだ。


だから多分、そのうち俺の月だって、青く染まることだろう。


                      おそらくは青い月/終


END

思いつかないよ 様宅にて捧げたもの。あの時の絵チャットに参加していらっしゃった方々のみお持ち帰り自由です。(持ち帰って頂けるかどうかは…分からないですが…)どうぞ、煮るなり焼くなりして下さいませ。
読了ありがとうございました。ブラウザバックでお戻り下さい。