星よりも鮮やかな
西暦24XX年、ワープ航法及び新エネルギー源の開発、重力場発生装置、酸素生成装置、耐熱耐圧新合金及びその加工技術、惑星地球化技術などの発明により、人類の宇宙進出は急速に進行し、地球系人類はサジタリウス星系を含む12の星系、惑星にして100あまりの星を開発・植民・居住するに至った。
それより間を置かず、人類の間で星の所有権を巡る争いが勃発。その結果12星系毎に国家が成立し、さらにそれが四国家ずつそれぞれ星間連合、星間連盟、星間同盟を発足、地球は永世中立地帯となる。
さて、人類がそのような歴史をたどっている間、同時に発達したものがあった。脳神経科学、及びそれに付随する義肢・人工臓器による肉体補完(強化)技術だ。
その進歩の成果は人の脳に膨大な数のマイクロマシンを注入し、外部世界と脳を接続する電脳化技術や、人工義肢を用いて作業効率・運動効率の向上を図るサイボーグ化技術、いわゆる義体化技術の実用化を可能とした。
一見便利に見えたこれらの技術であるが、一方で負の側面も現れる。平たく言えば脳のコンピュータ化である電脳化により、脳がコンピュータと同じくハッキングの脅威にさらされるようになったのだった。
電脳化以外の義体化をほとんど施していない作戦参謀といえば誰か。
そう聞かれると、サジタリウス星系の軍に所属する者たちの一部を除くほとんどの将校は首をかしげる。作戦参謀といえば机に向かっているイメージが大きいが、それでも連合と特に仲の悪い同盟が領域侵犯を犯した際などの小競り合いで、実戦の場に出る事はある。同盟との境界線近くに位置するサジタリウス星系ならば尚更だ。ついでに潜入してくる者たちの標的になることも多いので、大概の作戦参謀は義体化を行っているのだ。
しかし、答えを聞くと、これまたほとんどの将校が納得する。あの団の作戦参謀ならば、あり得ないことはない――と。
あの、涼宮閣下のSOS団に長年いる、いや、いることのできる作戦参謀ならば、と。
好きです。触れてもいいですか。
夜中に突然やってきた彼に問いかける。彼は頷く。僕は夢の中にいるような心地で彼に手を伸ばして抱きしめる。
そのままがっつきそうになる自分と早鐘を打つ心臓を抑えながらベッドに連れて行って押し倒す。
そして――
視界に見慣れた天井が目に入る。
…目が覚めた。どうやら夢だったらしい。
あんな夢を見るなんて末期だな、と自嘲しながら、どこか残念な気分で起き上がる。
コンソールから目覚ましの電子音が鳴っていた。そうでなくとも脳内で設定はしているのだが、どうにも落ち着かないからだ。電脳化していない時のクセかもしれない。
ベッドに座ったまま隣に目をやるも、誰もいない。勿論彼もいないわけだ。
「――コマンド:view-m」
ちょっと落胆はするものの、しかしあんな夢を見れただけで幸せという現金な僕は、少し浮かれた気分でコンソールに命令を出し、メッセージ8件、とアナウンスを確認したところで回線を開いてダウンロードする。
一つスパムのようなメールがあったので、新しく購入した防壁で防御。それを部屋のデータボックスへ戻し、中を分析する。どうやら電子ドラッグのようだ。長門さんに説明と共にデータを添付して送信する。彼女ならドラッグの送り主を突き止めて対策を打ってくれるだろう。
そして通信回線を開き、作戦参謀たる彼にアクセスして一言。おはようございます、キョン君。
『……ああ、おはよう』
その返答に首をかしげる。いつもは『むやみに早い時間に通信してくるな』とプロテクトをかけられているので、メッセージを送るだけ送って返ってくることは殆どないというのに、珍しいこともあったものだ。
まあしかしついでに言ってみて損はあるまい、と常日頃から彼に告げている言葉を付け足す。
『起きがけのあなたも素敵ですね。愛してま――』
ばん、と弾かれたような感触。焼かれそうになる時の感覚と似ていたので反射的に体がびくりと跳ねるが、果たしてそんなこともなく、続くのは虚しい沈黙ばかりだった。
「………」
閉じられたか。
はあ、とため息をつく。しかしせっかく回線を開いたのだから、と電子ドラッグの報告を送信しておく。
僕にとっては嬉しいことも多いけれど、今日はつくづく変わった日だと思う。再び首をかしげるのだが、それだけ気にしているわけにも行かない。シャワーを浴びて朝食でも取りに行こう。その頃にはさすがの彼も、二度寝から起き出していることだろう、そう判断して僕はシャワールームに向かったのだった。
と、まあそんな感じで一日が始まったのだが、変なのはそれだけではなかった。ついでに朝何となく浮上していた僕の気分も落ち込んだ。
避けられている。他でもない、愛しい彼に。
食堂では一緒に食事はいかがですか、と声をかけても、友人である谷口・国木田氏に誘われるままに僕の前からそそくさと去っていってしまうし、会議の時には無線会話のみで声も聞かせてくれず、ずっと僕から顔を背けている。涼宮閣下に注意されても、ちらりと一瞥しただけでまた無視。ついでに私語は――普段からもそれなりに拒まれてはいたのだが――完全にプロテクト。そのまま支障なく会議は終了したものの、やはりプロテクトはかけられたままだ。
「ったく、キョンったらどうしたのかしら。こんなに近くにいるんだから、わざわざ無線なんてしなくてもいいじゃない」
いっそ有線しちゃいなさいよ古泉君、という閣下の言葉に、
「いえ、そこまでしようとは思いませんよ。彼なりに何か考えがあるんでしょう」
と答えてはみたものの、その原因は勿論分からないまま、予想もつかない。
確かに僕はいつも彼につきまとって好きです好きですと囁いてはいるものの、一応気も遣っているし、彼だってそれに慣れていたはず。何か気に触ることをした覚えもない。あの夢が現実だったはずもないのだから、皆目見当がつかないのだ。
しかし悩んでいても状況は動かない。とりあえず駄目は元々で聞いてみるか、と閣下に礼をして青い軍服の彼を追いかける。
「あの、キョ――」
しかし声をかけた途端、キョン君は急激に加速して突き当たりの角を曲がり、逃げていってしまった。あの人は本当に義体化をしていないのだろうか、と思うほどのスピードだった。
「………」
気に触ることをしたのなら、言って欲しい。僕は彼のためなら出来る限りのことはするつもりなのに。何となく涙がこみ上げてきそうになるが我慢する。そうだ、仕事だ、こういう時は仕事に限る。
会議で報告された同盟軍との接触情報を元に、小競り合いが起きる場合に備えての警戒・準備を配下に指示する。目を閉じて送信を開始し、了解、という報告を十件ほど受信して目を開ける。心の中は凪のようで、切り替えがうまくいったと無意識が告げる。
部下達の配置図を彼に送信。これは流石に受信した旨の返事が返ってきた。補給艦隊の朝比奈さんも、設備に異常はないらしい。加えて、燃料の足りない艦への補給も完了したようだ。
時刻1900までに同盟軍の侵犯がなければ緊張緩和してよい、と長門さんが通信してきた。後7時間か。気合いを入れて警戒せねば。直属の部下達にそう伝え、僕は食堂へと向かった。
ランチを注文して受け取り、着く席を探していると、ちょうど彼の隣が空いているのを見つけた。
「…隣、よろしいですか?」
しばし逡巡した後声をかける。彼は目を丸くしてこちらを見て、なにかをこらえるような顔をする。
「………ああ」
長い沈黙の後、肯定の答えが返ってきて、どこかほっとした気分で彼の隣に座る。
しかし笑顔を作って彼に目をやると、また僕から目をそらし、身を固くしてわずかに震えていた。
「………」
急に冷水を浴びせられたような気分になり、思わずもう一度立ち上がる。ねえ、なんなんですかあなたは。そう叫び出しそうになる。だって愛する人にこんな反応をされて、喜ぶ男なんているだろうか?
泣きそうになる。それと同時に心の奥でなにかが燻っているのが分かる。しょうがないな。無駄話するなよ。いつもはそう言いながら、決して彼は僕を拒まなかったというのに。
「……自艦、B-201にいます。何かあった場合はそちらへ連絡を。作戦参謀殿」
作り慣れた笑顔を組み上げ、彼の耳に囁くと、はっと彼はこちらを振り返る。その顔はわずかに青い。
「それでは。お邪魔しました」
我ながら、目がちっとも笑っていない、とか、そういう類の恐ろしい笑顔を浮かべていたと思う。
テイクアウトにする旨を伝え、ランチボックスに入れてもらった昼食を持って艦に帰り、B-201で開発中の小型艇の機体に寄りかかって頬張っていると、呆れた顔をした森さんがやってきた。
「古泉。またこんなところにいたのですか」
「森さん、こんにちは。すみません、少し嫌なことがありまして」
「まあいいでしょう。こんな非常事態の下で宇宙飛行を希望しないだけましですから」
「きついですねえ」
癖のようになった微笑みを向けると、森さんは更に眉を顰め、
「当然です。あなたはもうテストパイロットでもデバッガーでも、ましてや宇宙艇乗りでも無いのですから」
万一状況が動いた場合は、さっさとここから出て艦橋で働いてもらいますからね、と静かに告げる。
「分かっています。…そういえば、森さん」
「なんですか」
「涼宮閣下の指名があったとはいえ…どうして僕が幕僚総長になるのを認めて下さったのですか?」
ふと出た疑問だった。森さんは開発部のリーダーで、兼前幕僚総長の補佐だった。どうかすると僕よりも有能で、そして僕より地位は上だったのに、どうして僕の下で補佐をしてくれているのだろう。
「――駄目だ、と思ったからです」
「え?」
「古泉をこのままにしていては駄目だ、と」
データを送信します、処理しておきなさい、と言って圧縮ファイルを送りつけ、森さんは脇目もふらずに出ていった。
「………」
確かに、あの頃は少し仕事に傾倒しすぎていたかもしれない、と苦笑して、ファイルを解凍して処理しつつ、強化ガラスの向こうの宇宙へ目をやる。黒の中に溢れるような満天の光る星。行ったことはないが、地球からはこんな景色は見る事は出来ないだろう。
彼からの通信は…勿論来ていない。プロテクトをかけてあるから。事務連絡回線は開いてあるのだし、これぐらいしたって構わないだろう?
昼食の最後の一口を放り込み、自分の生まれた星の方を見る。未だ光る僕の母星を照らしていた恒星。けれど、あと二年もすれば見えなくなるだろう。ワープでその地点に行っても何もない、その周りを回る惑星ごと、もう消えてしまった星だから。
そういえば彼と出会った時も、僕はここでテストを終えて、母星の方を眺めていたのだったか。
目を閉じると思い出す。突然訪ねてきた彼の気怠げな声を。
その時はまだ僕は彼のことを、珍しく殆ど義体化をしていない作戦参謀、としか知らなかったけれど、その第一声に不思議にも惹きつけられたことを、僕ははっきり覚えている。
――お前が、開発部の古泉一樹か?
涼宮閣下がお前を幕僚総長に任命したぞ。サプライズ人事ってやつだな、と、彼は気怠げながら、まっすぐな瞳で僕を見つめてそう告げたのだ。
それから不祥事を起こした前幕僚総長の後を継いだ僕は、その瞳、その人柄に惹かれるまま、恋に落ちた。あれだけ夢中になった研究も、彼の前では何処かへ霞む。あの深い色をたたえた瞳を見つめていると、幸せなような泣きたいような気分になって、どうしようもなくなった。
恋を自覚した後、僕は僕なりに必死になった。思えば最初に弾みで言って、冗談ですと続けてしまったのがいけなかったのだろう、好きだと言っても真面目に返して貰えることはなかった。それでもいいと開き直り、その彼の曖昧な態度につけ込んで、好きです、愛しています、と傍らに近づいて囁ける日常を手に入れた。あわよくば好きになって欲しい。そう思っている。けれど、少し仕事の間につきまとって、愛の言葉を囁く、それだけでもいいと思っていた。
たまにそんな関係に嫌気がさす気分の時も、この部屋に来て、都合が合えばテストフライをさせてもらって、そうでない時は今回のように、ぼんやり宇宙を眺めて物思いにふける、それだけで切り抜けてゆけた。
同性からそんなことをされているのに、なんだかんだと彼は僕を完全には拒絶しなかったし、僕が彼に、恋とはいわずとも好意に類される感情を持っていることは了解されていたようなので、このまま友人以上親友未満のような、恋愛にはシフトしないかもしれない関係だったけれど、それはそれで心地が良かった。自惚れかもしれないが、彼もそう思ってくれていたのだと思う。
だから、もしかすると彼も僕を好いてくれるかもしれない、という希望を捨てきれずに持ち、かつどうにか落とそうと計画しつつも、隣に在る今を大切に思っていた。
それなのに、今回の彼の行動は、何だって言うんだろう。
もしかして、まあ今更ではあるが、僕の本心がばれてしまって、彼はそれを気味悪く思ったのだろうか。
それとも僕は、やり過ぎたのだろうか。僕に気を遣っていただけで、ずっと彼は僕のことを迷惑に思っていた? いいや、それなら彼ははっきり言うはずだ。嫌っている相手ならば尚更。
思考は悲観的な方にばかり進む。せっかく幼い頃から憧れて止まない宇宙を見ているというのに、いっこうに僕の気分は晴れない。ああ、飛びたい。宇宙を走りたい。せめてこの、背を預けている機体に乗り込み、飛ぶ事が許されていたならば良かったのに。
電脳というのは便利なもので、物思いにふけっていても、ファイルの処理は進み、無事作業は完了した。一応、と暗号化を施して森さんに送信する。
暫くそのまま空を眺めたり機体の性能をチェックしたりしながら仕事をこなし、もうそろそろ艦橋の方へ行かねば幕僚総長としていけないだろう、と思い至って立ち上がる。
と、長門さんから暗号通信が入った。
「はい、古泉です。何でしょうか、長門さん」
『情報処理が全て終わった』
「あ、はい。ありがとうございます」
『…今日のことと、昨日のことで、私はあなたに謝罪しなければならない』
「…え?」
『詳しいことは資料を添付したメールを今…』
送る、と言いかけたらしいところで、ぴん、という音が長門さんの回線を通して響く。
『…詳しくは後で。
――二時方向に同盟が境界を越えて侵入。交戦体勢に入る』
はっ、と息を吸う。ついに来たか。キョン君へのプロテクトを解除。立ち上がって部屋から飛び出し、すぐ傍の艦橋へ。データの飛び交う中で艦長席に座り、指示を飛ばす。
ぶん、とモニターが立ち上がり、キョン君が映る。
『初期対処はまあまあだ。作戦を今から送る』
「了解しました」
『豪快な作戦にしなさい、キョン! とにかく私が蹴散らしてやるわ!』
『止めとけ。一番前にわざわざ出て行く大将がどこにいる!
お前が俺を作戦参謀にしたんだろ。とにかくこの指示通りにしてくれ』
その言葉と同時にコンソールに作戦の内容と現在の状況が映った。
文句を言いながらも、しぶしぶ涼宮閣下も同意し、彼の作戦でもって同盟の艦隊を無事追い返すことが出来た。最良の結果となったわけである。
どうやらあちら側も本気で攻め込むつもりではなかったらしい。ならば侵入してこなければいいのに。全く、迷惑なことだ。
被害状況を確認し、大したことがないことを確認する。涼宮閣下率いるSOS団(本来はS25国境警備艦隊という)はサジタリウス星系の端っこの方を警備しており、割と襲われることが多いというのに全体の人数も軍艦も少ない、という微妙な位置にいる。もっと襲われるのならば配属艦も多くなるらしいが、幸いと言うべきか、微妙に小競り合いの数が少ないのだ。損害が少ないに越したことはない。
ほっと一息ついていたところで、またアラートが鳴る。今度は何だ。
コンソールを叩いて状況を表示すると、十数個の小さな点が近づいてきているところだった。軍艦にしては小さい、宇宙艇のようだった。それが結構なスピードでこちらへやってきている。所属コードはない。
「……まさか」
国境や警備の薄い民間船を狙う宇宙の無法者。同盟にも連合にも連盟にも所属しない軍隊。
その名称があまりにも野暮ったくて、今まで忘れていた存在。
「宙賊…!?」
『――触法独立船団、ナンバー511。艦で対処することも可能だが、スピードに利のある小型艇で迎え撃つことを推奨する』
『そうだな。古泉、お前のところから小型艇をいくつか出してくれ』
はい、と頷いて指示を出そうとする。
しかしコンソールを確認して、僕は愕然となった。
小型艇が一機、飛び出している。その後をのろのろと追って行く小型艇の群。
『私にまかせなさい、キョン! こんな奴ら、今度こそ蹴散らしてやるわ!』
涼宮閣下から通信が入る。ハルヒ、ちょっと待て、というキョン君の声も。
先ほどの戦いで鬱憤が溜まっていたのだろう、涼宮閣下は喜々としていた。
『誰か! ああ、全く…! しょうがないな、あいつは…』
閣下の戦闘技術を信用してだろう、キョン君がため息をつく。その中に滲む信頼。
閣下は万能といってもいいぐらいの技術力がある。ちゃんと彼女の部下が後を追っているのだし、万一の事になる可能性は低い。その上彼女と彼の付き合いは長いんだから、彼と彼女の間に並々ならぬ絆があるのは当然だ、いつものことだ、と自分に言い聞かせる。
それでももやもやとした気分は抑えきれず、紛らわすように小型艇を出すように僕も指示を出す。そしてふと、コンソールから目を上げたその時、艦橋のモニターガラスを通して、満天の星空が目に入った。
一瞬、それに見とれる。そして気がつく。モニターに映る閣下の機体、その後を追う群から三機ほどが飛び出し、彼女の艇を取り囲もうとしている。その動きがおかしい。
偽装船。
そう判断した瞬間、何かがはじけ飛ぶ。僕は僕の幕僚総長権限を森さんに委譲した。
『古泉!?』
森さんの声が何処か遠いところで響く。艦橋を飛び出してすぐの、B-201の扉を開ける。
僕がいつも乗る、先ほど寄りかかっていた機体が鎮座して、オールグリーンのランプを光らせていた。
乗り込んで空に飛び立つと、海に飛び込むような錯覚に陥る。ああ、けれど宇宙は星の海なのだから、まんざら錯覚でもないかもしれない。
『あ――泉、――い、待――』
誰かが通信でそういっている。誰だっけ、そうだ森さん、ああでも聞き取れないから、まあいいか。
機体からの情報が電脳を満たす。向かう先は赤い小型艇の群れ。その先にいる赤に黄色のラインが入った機体を探して飛んでゆくと、存外それはすぐ見つかった。
あれ、僕はどうしてあれをおっているんだろう。まあいいや、指示があるから、それに従えばいい。
黄色のラインの船はよく似た小型艇に攻撃されている。いやだな、僕は星空を眺めながら、飛んでいたいのになんでそんなことしてるのかなあ。
機体にあうように調整を繰り返した義体の操作でもって、全部うちおとす。黄色のラインの船は、誰だっけ、ええと――長門さんがやめろと言うからやめておく。
あ、前からあれとは別の機体がもっときた。じゃまだなあ。星空がみえないじゃないか。
そちらへ向けてスピードを上げる。暗号通信の回線が開いて、指示が出る。
キョン君の指示が音声で出る。あの低くて穏やかな声が響く。聞いていると心地よい。
キョン君の声に従うまま、黄色のラインの船を守りながら、攻撃するなと言われていない船を撃墜してゆく。それにあわせて他の小型艇が動くのが分かるけれど、その配置の意味はよく分からない。でもキョン君が言うことだから、従っていればいい。
敵の小型艇がいなくなってゆく。星空がよく見えるようになる。とてもすっとした気分だ。このままもう少し飛んでいたい。
『古泉、戻ってこい。ただし、お前の艦じゃなくてハルヒと一緒の艦だ』
はい、キョン君。でももうちょっとだけ、
『駄目だ。戻ってこい』
そういわれると、どうして飛びたかったのか分からなくなる。キョン君に会いに帰ろう。そう思って、黄色いラインの入った涼宮閣下の艇について行く。
そして艦に入り、機体から出ると、キョン君と長門さん、それに朝比奈さんが心配そうに見つめてきた。
「あ、キョン君」
笑いかけると、キョン君は困ったような怒ったような、よく分からない顔をして、
「よう、古泉」
そう言って手をあげる。
その顔を見て、その言葉を聞いて、なぜかほっとして力が抜け、床に膝をついてしまった。
瞬間、弾けていたものが収束したような、何かが抜け出てまた満たされたような、目が覚めたような心地になって――まだどこかぼんやりしたまま、自分が何をやっていたのか理解して、なぜか眠気が襲ってくると同時に、肝が冷えた。
「あ、あの…」
眠いのをこらえ、顔を上げて恐る恐るキョン君の方を見ると、僕がほとんどいつもの僕に戻ったのが分かったのだろう、眉間にしわを寄せている。どうしよう、怒られる。というか、規定違反か何かで処分されるかもしれない。謝らなければ。だから、眠ってはいけない、でも眠い。
「古泉一樹は今、トランス状態から脱したところ。更に疲労を与えるのは推奨できない。
……今の古泉一樹に必要なものは、睡眠」
長門さんが彼を制止し、僕の方を向く。そこまでが限界で、どっと意識が閉じていって、眠気が僕を襲い、そのまま僕は目を閉じた。
目を覚ますと、白によく分からない模様をちりばめた、医務室の天井が目に入った。
電脳で時計を確認すると、かなりの時間が経っている。どうやらあれから、長時間眠り込んでしまったらしい。しかしそのおかげか、妙に頭も体もすっきりしている。
「……おはようございます」
「古泉一樹の起床を確認。意識に支障は」
「ありません。お気遣いありがとうございます」
横についていたらしい長門さんに微笑みかけて起き上がると、長門さんは淡々とした無表情な瞳で見つめ返してきた。
「…今後、このような行動は推奨できない。あなたの精神にとっては負荷の発散になるようだが、戦闘能力の向上の代わりに理解能力及び道徳観念の著しい低下等が確認された。これは職業上、支障となるといわざるを得ない」
「すみません。分かっていたつもりだったのですが…」
前も何度かあの状態で暴走し、彼の世話になったことがある。テストパイロットだった頃は、森さんに世話をかけた。流石にここまでおおっぴらな状況で『吹っ飛ぶ』ことはなかったのだが、確かに何度も繰り返すとまずそうなのはよく分かる。下手をすれば、キョン君の隣にすらいられなくなるかもしれない。
「幕僚総長の任は権限を委譲されたあなたの部下が務めている。彼女にはあとで連絡すること。…それと、処分は五日間の謹慎」
「おや、ずいぶん軽くなりましたね。僕としては更迭されることも予想したのですが」
「あなたの状態と戦闘中の功績を鑑みて、涼宮ハルヒが決定した」
そうですか、と答えながら、僕は安堵のため息をついた。涼宮閣下の温情を感じて、胸がじんわりと熱くなる。そういう人だから、僕らは彼女について行ってしまうのだろう。
その彼女と信頼を寄せ合っている、彼の姿が思い浮かべられる。何となく辺りを見回してみたが、勿論彼は医務室にはいなかった。
「それで、あの、彼は?」
「戦闘後の処理を終え、待機中」
「そうですか。謹慎の前に、少し会ってお話ししたいことがあるのですが…」
先ほどの長門さんの謝罪云々に関しては、後から聞こう。それよりもキョン君に会って話を聞きたい。そう思ってベッドから立ち上がろうとした僕だが、長門さんが腕を上げて制止してきて、そのままベッドに座る。彼女の瞳はわずかに揺れていた。
「さっきの、事だけれど。…それも関係すると推測される事柄について、私はあなたに謝罪しなければならない」
「……え?」
聞き返すと同時に、長門さんから資料が転送されてくる。その資料を開いて僕は愕然となった。
これか。僕が暴走する前、長門さんが言っていた資料は。
「…そのファイルを見ての通り、頻繁に小型宇宙艇に乗って外出するあなたに、私は間諜の疑いを抱いた。先日、あなたが友人から防壁を新たに購入したことで、疑いを強めても良いと判断し、彼に協力を依頼して調査した。
…許して貰えるかは分からない。けれど、私はあなたに謝罪する。…ごめんなさい」
長門さんはまっすぐ僕を見つめながら、しかし瞳を揺らす。彼は彼女の表情を理解できるらしいが、そうでない相手に彼女が感情を露わにすることは滅多にない。だからこそ、その瞳の揺れがどれだけ大きいものか僕にも分かる。
この謝罪に、どう答えるべきか僕はよく分かった。けれど、ほんの少し感じる不快感を抑えて微笑を作り直すには少し時間がかかってしまう。
だがその間、僕から目をそらさずに座って動かない長門さんを見ていると、笑みが浮かぶと共に不快感はほどけるようになくなっていった。
「…いいですよ。僕が怪しまれる行動をしていたことは確かだ。友人は免許も取っているから、防壁は信頼できるものだと思ってインストールしたのは僕です。服務規程で決められていないにせよ、あなた方に伝えておくべきだった。
それに長門さん、あなたはこの調査で分かったことを誰にも伝えないでしょう? 僕の電脳を書き換えることもしなかった。ならばいいです」
「…感謝する」
「いいえ、おあいこです。責任感の強いあなたのことだ、涼宮閣下に僕の処分の軽減を進言して下さったのでしょう?」
「…それについて、私は言及する権限を持たない」
長門さんが目を伏せる。それが何よりの答えだった。どこか幼いその仕草に、彼が彼女に構うわけが、改めて分かった気がする。
「ありがとうございます」
「…そう言われる権利を私はもたない」
僕を制止する長門さんの腕が下がる。僕は苦笑してベッドから立ち上がった。
「彼がどこにいるか、教えて頂けますか?」
「彼は」
長門さんが医務室のドアに目をやる。丁度良くドアが開いて、彼が顔を覗かせ、
「長門、古泉の様子は――」
目覚めた僕を見て、一目散に逃げ出した。
僕も医務室を飛び出し後を追う。やはり義体でないというのが冗談でないかと思うほど全速力で逃げていた彼だったが、僕の方は四肢と内臓の一部まで義体だ。圧倒的スピードの差でもって、人目のない一角で追いつき、彼を抱きしめるようにして捕まえる。
「まってください、キョン君」
「――古泉」
離してくれ、と僕の腕の中でキョン君がもがくけれど、当然僕は離さない。
「ねえ、キョン君。
――見たんでしょう、僕の電脳の中」
声を低くして聞くと、キョン君がぴたりと動きを止めた。やはりそうだったか。あの夢は夢でなく、現実だったのだ。
長門さんに調査を頼まれた彼が、僕の部屋に来て、誘いに乗り、もう少しというところで有線を差して僕の電脳を覗き見た。
そしてスパイでないと確証を得たところで、僕の部屋に彼が来たという記憶を曖昧なものにし、僕の部屋から去っていったのだろう。
僕の電脳の中に詰まっていたものを、その記憶にとどめたまま。
「おま…お、お前はっ…!」
キョン君の顔が困惑にゆがむ。焦っているのだろうか。僕に責められるとかいう、あり得ないことを考えて。
「僕の電脳の中は、どうでしたか…? お恥ずかしいことに、あまり特殊とは言えない経歴と、あなたも知っている機密データと、それに…」
僕のあなたへの想いしか、詰まっていなかったはずですが。
丁度傍にあった無人の部屋を開けて連れ込みながら、そう耳元で囁くと、彼がぶるりと震えて脱力した。
その仕草に何となく違和感を覚えながら、たどり着いた結論を口にする。
「…僕が本当にあなたを愛していたということが、あなたには驚きだったから、あのように逃げていらしたのですね。…まあ、当然のことでしょう。
しかし、気味が悪かったのなら、はっきり僕を拒絶して下されば良かったのです。訳も分からず無視されるなど…僕がどれだけ傷ついたと思っているのですか」
「ち…違う! 気味が悪くなんてない!」
いきなり彼が顔を上げて必死に声を上げた。その頬がなぜか赤い。
「お、お前が、す、スパイなんてするわけないって思ってたんだが、…でもお前、なんだかんだといつも胡散臭い笑顔ばっかうかべてて、その上冗談だか本気だか知らんが毎日好きだの何だのと…!」
「…それ、気持ち悪いってことですか…」
「違う…! だから、もしかして、とか…お前みたいな顔の良いやつ、俺を好きになるわけないとか…よく分からなくなってだな…」
はあ、と分からないなりに相づちを打つと、彼の顔が更に耳まで赤くなる。
「だから…とにかく覗いてお前の嫌疑だけでも晴らすか、と思って、部屋に行ったんだ。
で、後は知ってると思うが、お前に有線ぶっ刺して、中をだな…見たわけだ」
かなり可愛らしい仕草で彼が俯く。あれ、これってもしかして、僕のつけ込む隙がまだあったりするのか?
「そしたらだ。そしたら攻性防壁は俺だけあっさり通すわ、俺について考えた事だのイメージだのがそこら辺に散らばってるわ、しかも機密ファイルなんかは、……ああくそ、お前ちょっと俺と有線で話せ」
彼がじれたように足で床を叩く。
「あ、はい。ロック外しますね」
「…じゃ、首出せ」
「はい」
素直に首の裏を見せると、彼は赤く頬を染めたまま憮然とした顔になり、僕に有線を刺す。すぐに彼からの音声が飛んできた。
『機密ファイルの暗証コードに、俺の本名を使うんじゃない。危ないだろうが』
『あ、すみません』
『それと無防備すぎるんだお前は。あっさりロック外して有線をつなぐな、それこそ俺がスパイだったら危ないだろうが』
『あ、はい』
いつも通り彼が怒ってくれるので、なんだか嬉しくなって微笑んでしまう。そのせいか彼は憮然とした顔で、
『…俺はむかついたんだ。好きだの何だの、冗談みたいに何時も言っておいて、あれだけのイメージだのなんだの恥ずかしげもなく、専用ファイルなんかもつくって格納してるお前にな、もうほんと何やってるんだって気分になった。
でも一番むかつくのは――』
夢みたいな感覚が唇に触れて離れてゆく。これは夢だろうか。いや、現実だ。でも多分これが記憶を書き換えられたりハッキングされて見ている夢でも、僕はいっこうに構わないのだろう。
『それが嫌じゃないどころかもう全部ぐちゃぐちゃになって夜も眠れなかった俺自身な訳だ』
頭の中がいっぱいいっぱいになって、けれどどこか遠いところで彼の行動を納得する。恥ずかしくて彼は僕を避けていた、それだけだった。それが全ての答えだったのだ。
『それでだ、一回しか言わん、心して聞け』
涙が溢れそうになって、更に力を入れて彼の体を抱きしめる。
『――俺もお前が好きだ』
もうなんと言って良いのか分からない。嬉しすぎて嬉しすぎて、死んでしまいそうだ。
ありがとうございます、それとついでに今の音声ロックかけて永久保存して良いですか。そう伝えると頭をはたかれたけれど、仕方がないな許してやる、とあの深い瞳を細めて彼が微笑むものだから、それでもいいやと思ってしまった。
そのまま調子に乗って彼にキスをすると、彼は逃げず、僕の体を抱きしめ返してきてくれた。
END
蝶子様に捧げます。蝶子様、どうぞ煮るなり焼くなり自由にして下さいませ。
読了ありがとうございました。
2009/02/15〜2009/02/16 字下げなど、色々修正しました。捧げた後だったのに…。つじつまの合わないところなどあってすみませんでした。…推敲にもっと念を入れようと思います…本当にすみませんでしたです…。
MAIN