ひろいもの
俺が4,5歳だった頃、俺の親父は、とにかく道ばたに捨てられた生き物を拾ってくるのが得意な人だった。
得意といえば語弊があるかもしれんが、そうとしか言いようがない。なにせ最盛期には二週間に一度は猫だの犬だのを拾ってきてはお袋に叱られ、涙目になりつつも次に懲りずにまた拾ってくるという人がいいにしてもほどのある男だったのだ。
お袋はお袋で文句を言いつつも犬猫をまめまめしく世話し、いざ里親が見つかってお別れとなると一番嬉しそうに笑った後、誰にも見られていないところで泣くような人だったので、どうやらこの2人はそういうものであり、今もそうであるらしい。妹は当時物心もついていない頃だったから、素直に泣いたりわめいたりと忙しかった。よくその中で犬猫の世話を、短期間であれやってのけたものだと思う。
そんな家族の中で幼児期を送っていた俺なのであるが、ただ犬猫をよく父親が拾ってくる、というそれだけならまだ平凡というべき分類の中に我が家は入っていただろう。
しかし、平凡というには少しばかり問題があった。
親父の拾ってくるものである。
犬猫ベースなのはいいのだが、たまにある例外がとんでもない。鳥やトカゲなどは序の口で、イグアナ、レッサーパンダ、果ては水槽に入った海月(ご丁寧にも『拾って下さい』とガラス部分にに油性マジックで書いてあった)、まで様々だ。
たまに蛇なんてのもあった。そもそも捨てる側も捨てる側だと思う。
そして俺も、その親父の血を引いてるからかなんなのか、6歳を目前にしたある日、とんでもない拾いものをしてしまった。
その拾いものの名は、コイズミイツキ。
ミルク色の髪にきれいな琥珀の瞳を持つ、女と見まがわんばかりの美麗なツラを持った、同い年の子供だったのである。
公園で遊んだ帰り道、街灯の下で、『拾って下さい』という手紙を持ったまま泣いていた奴が俺についてくるのを、俺はどうしてだか、素直にそのまま家に持って帰ってしまったのだ。
それから我が家は大騒ぎだった。警察を呼んで身元はどうだの戸籍はどうだの、そもそも誰が捨てたんだだの。
そして、コイズミイツキと名乗った子供の証言を頼りに探し出された母親は、…既に死んでいた。
幸い父親は健在だったが、なんと自分の子供がいることも知らなかった。母親は自分が父親に見合わないとか身分違いだとか色々思い悩んだあげく父親と別れ、その後自分の病気が発覚するに至って一樹(そういう漢字だと判明した)を捨てたのだという。悩んだ末かもしれないが、一樹側からするととんでもなく迷惑な話だと思う。
とにかく父親が、母親に未練もあるということで、一樹を引き取ることになった。
俺が拾ってきた一樹が俺の家にいたのは、結局二週間だけ。
けれどその二週間は幼かった俺たちの仲を深めるには十分で、別れの時、一樹はぼろぼろ泣いていた。俺も不覚ながら、少し泣いた。
また会いに来ます、絶対会いに来ます! と泣きながら一樹は叫んでいた。おう、遠慮せずに会いに来い、と俺も涙をこらえて答えた。
この騒動でもう懲りたのかなんなのか、父親は動物を拾ってきてもしばらく家に置いておくことはせず、保健所に連れて行ったり、警察に即座に届けたりと、対策をさっさと取って手放すようになったのである。
「はい。…はい、分かりました。そうします。はい」
話を切り上げて携帯を閉め、ボロアパートの階段を上っていくと、ドアの前で一樹が座り込んでいて、ため息が自然と口をついて出た。
社長が社員の家の前で座り込んでるとか。この男は他の社員に見られたらどうするつもりなのだろうか。
「…一樹。どうしたんだ?」
額をおさえて声をかけると、
「あ、キョン君、おかえりなさい」
一樹はそれには答えもせずに胡散臭い笑みを浮かべて立ち上がり、気障に一礼してドアの前をあける。
おう、と答えて鍵を開け、中に入ると、予想していたとおり、手に提げていたビニール袋を示して、飲みませんか、ときた。
またか。と心の中で呟くが、口には出さず頷く。
あの可愛らしい幼い頃が嘘のような大人の魅力を醸し出した美形は笑みを崩さず、勝手知ったる他人の家と言わんばかりに靴を脱ぎ、中に入ってゆく。
「なあ一樹」
「はい」
「……いや、何でもない」
俺も靴を脱いで鞄を置き、部屋の中に入る。
かすかにきざったらしい男物の香水のにおい。
……一樹の香りだった。
「だからですね、僕はどうしてその超能力者はわざわざ主人公にそこまで顔を近づけるのかというのが気になったわけですよー」
俺をのぞきこむような体勢で、酒臭い息を吐いて一樹がアニメだかなんだかについての講釈をぶつ。
「そういうお前も顔が近いんだがな」
「そーですかー?」
そうだ。ついでに酔っているだろう。だからそれ以上飲むな。
「いやですよー。キョン君も一緒にもっと飲みましょうー?」
「駄目だ」
「えー」
こういう遣り取りも今回で何度目になるだろう。数えたとしたら、少なくとも両手を二回は余裕で使うだろう。
あんな遣り取りをして感動の別れをしたにも関わらず、古泉一樹と俺が次に会ったのはあの怒濤の騒動からわずか一週間後の事だった。
一樹の父親はもちろん一樹への愛情が溢れんばかりにあったのだが、残念ながら会社の社長なんてものをやっていて、忙しさが半端なかったので、家を留守にすることがかなり多かった。家に残される一樹は寂しいはずだ。しかし自分は帰れないし、家政婦を雇うにしても、一樹がなつくとは限らない。
そこで俺たち一家の事が頭に浮かんだわけだ。あの家族ならば一樹も懐いていたし、よし出かけてる間はあそこに預けちまえ、と遠慮なしに一樹をうちの家へやった。
そんな風にして感動の再会をしたのも一回だけで、味を占めた一樹の親父は何度も一樹をこちらへよこし、一樹との暮らしはほぼ日常の一部と化した。
そして何を考えたのか、一樹は小学校・中学校・高等学校と俺と全く同じ進路をたどり、結局大学にまでついてきた。忌々しいことに、その間に可愛かったコイズミイツキ少年は俺の背を追い越し、そして気障ったらしい笑顔を幾通りにも使いこなす古泉一樹青年に進化してしまった。
その後例に漏れず俺と同じ大学に進学した古泉は、社会人になってしばらくして父親の会社を継ぎ、やりたいことも特になかった時期に一樹の父親の会社の業務内容に興味を持って入社していた俺と社員と社長の関係になったのである。
しかしそうなってしまっても、一樹はしょっちゅうここにやってくる。その手に酒を携えて、大学時代と同じように。
もう社会人だし社長なのだから自重しろと言っても、全く遠慮する気配がないのだ。
「うー、キョン君ー。飲んで下さいよー。一緒に飲みましょうよー」
「なんでだ。俺は明日も仕事なんだよ」
「じゃあ休んで下さい」
「殴るぞこら」
そういってあしらってやると、一樹がほおをふくれさす。昔ならいざ知らず、今のその顔でやると結構引きそうになるぞ古泉一樹よ。
「いいじゃないですかぁー!
慰めて下さいよ。分かってるんでしょう? 僕は今彼女に捨てられて傷心なんですぅ!」
ああそうですか、そうだと思ったよ。いつもそういってくるもんなあお前。つくづく男の敵だよな、この色男。
「あーはいはい、残念だったな、次頑張れ。お前なら幸せになれるさ」
「………」
一樹はすねた顔で俺を見る。
そして横にあるビールの缶を掴み、一気にそれを飲み込んだ。
「おいおい」
だからそれ以上飲むなって、といったところで、いきなり両肩を捕まれた。
そしてそのまま、床に押し倒され、俺はなんとかすんでのところで頭をぶつけそうになるのを回避した。
「…慰めて下さい」
その一言と共に、服の裾から一樹の手が入ってきて、俺の胸のあたりをなで回す。
あ、と声を上げると、一樹の唇が俺のそれをふさいだ。酒臭さが口の中に充満する。
丁寧に一樹が背広のボタンを外してゆく。足の間に太ももが入って、閉じられなくなる。
……これも、何回目、だろうか。
酒臭い息。元々少なからず酔っていたけれど、くらくらしてくる。
これから俺は一樹に抱かれる、なんて事を予感してか、体が熱くなる。
「ねえ、キョン君…」
唇を話し、古泉が潤んだ瞳で俺を見つめてきた。その目に宿る、欲情。縋り付くような視線。
慰めて、と。
そうささやかれ、一樹に始めて抱かれたのは、大学の頃。三人目の彼女に振られた一樹を飲みながら慰めていた、その時。
それから一樹は彼女に振られる度に俺のところに来て、酒を飲み、そのまま俺を抱くようになった。
体とは不思議なもので、回数を重ねるにつれ、俺は行為になれてゆき、古泉もなんだかんだと、まあなんというか、そうなったわけだ。
拒めたことは、ない。拒んでも強引に事が進めば合意になってしまうようになっていた。だから、拒んだことはない、というべきだろうか。
古泉の視線から逃れるように、机の上に置いた携帯に目をやる。俺は一樹を拒めたことはない。けれども、今回ばかりは。
「…駄目だ」
慰められない。そう言って一樹の胸を押しやる。
「どうしてですか。恋人…はないですよね、僕しょっちゅうここに来ていますし、そんな気配は」
「お前、嘘ついただろう」
「え…」
一樹が目を丸くする。俺はすう、と息を吸い込んで続けた。
「再婚するんだってな、会長」
一樹が息をのむ。どうしてそれを、と乾いた声が降ってくる。
「会長から連絡があったよ。うちのいっくんそっちに行ってない!? って泣きじゃくってたぞ。
心当たりが君の家しかないんだ、すまない迷惑かけて、でもいっくんがいっくんが、とかいっていい年して涙声でな。
見合いの話が来たのも偶然だそうだ。うちの可愛いいっくんはお見合いでは結婚させないつもりなのに、話聞かずに飛び出しちゃった、だとよ。
なあ、一樹…いや、古泉」
震える一樹の頬に手をやる。びくりと一樹は体を震わせた。
「お前は、ちゃんと愛されてるよ。会長はお前を捨てようとしたんじゃない。お前のことがそれだけ大好きなあの人が、お前に捨てられる苦しみを二度も味あわせるものか」
あ、とか、う、とか、小さな声を一樹が紡ぐ。
「だから…俺はお前を慰める必要はないと思うんだ。酔いも覚めただろ?
…それと、こんなことは、もう止めにしよう」
両肩を押さえる一樹の手の力は弱まっていて、胸に手をやって押しやると、素直に一樹は俺の上から退いた。
起き上がり、呆然とした顔で座り直す一樹に言う。
「彼女にふられた慰めっていっても、こんな事、やっぱり駄目だ。そうだろ? …疲れるし、さ。
飲むだけなら飲んでやるよ。だから、もう止めにしよう」
そう言ってミルク色の髪を撫でると、一樹はくしゃりと顔を歪める。ああ、せっかくの綺麗な顔が台無しじゃないか。
「なんでお前がそんな顔をするんだよ。もうコイズミイツキくん、て年じゃあないだろう?」
でも一樹、俺はもう駄目なんだ。彼女が出来ただの、振られただのとお前が報告する度に、俺は胸が張り裂けそうになる。
お前が彼女に振られる度に、慰めて下さい、の言葉に頷いて、抱かれる俺がどんな気持ちでいるかなんて、お前には分からないだろう?
お前が俺を抱いて、一緒に一晩過ごして、次の朝お前の寝顔を眺める時、俺がどんなに胸をふるわせているかなんて、お前は知らないだろう?
いつのまにかお前が好きになってたんだ、古泉一樹。でも、お前はそんなこと知らなくていい。
一樹は、歪めた顔で笑うと、分かりました、とそれだけ答えて、玄関から出て行った。
ため息をついて、一樹が置いていった酒をあおる。無性に泣きたくなった。
俺は会長からの電話で、実感したのだ。
一樹は、こんな事をしているべきじゃない。俺を抱いたりしているより、もっと別にするべき事があるはずだと。何を思って俺を抱いたのか、見当がつかないけれども、だ。
ちょっと息子が大好きすぎる父親と、見合いでもなんでも、とにかく満足のいく方法で結ばれた可愛い嫁さん。そんな家族で幸せに暮らす方が、一樹にはきっといい。
彼女なんて引きはがして、俺の方だけ向かせたいなんて、そんな独占欲ばかりの俺と、ずるずるこんな関係を続けていてもいけないのだ。
…本当は、俺が辛いからってだけかもしれない。一樹が彼女を作って、振られて、というのをそばで見ているだけしかできないポジションで、けれど時々抱かれてしまうのは、本当に、辛いから、やめたくなったのかもしれない。
それでもどこかで、止めてほしくない自分もいて、それが今、…俺の頬に涙を伝わせている。
なさけないな、片思いの相手、しかも男とこんな遣り取りをしただけで、泣いちまう大の男なんてよ。
泣きながら自嘲の笑みが思わず浮かんだ、その時だった。
甲高い声が上がる。窓の外がにわかに騒がしくなり、男女が何か言い争っているような声が聞こえた。
物騒なもんだな、おい、と窓の方に近づくと、その声がはっきりしてきて……って、この声一樹じゃねえか!
急いで窓を開けると、
「いや、ですから! 僕は貴方のストーカーじゃなくてですね、このアパートに知人が…痛いです痛い!」
「何言ってるのよこの変態! 涙流しながらじーっとうちの家見上げていたクセして!」
はたして、我が隣人と一樹が言い争っているところであった。ちなみにお隣さんは柔道県大会一位という輝かしい経歴を持つ猛者であり結構な美人であるので、一樹も逃げることが出来ないようだ。
そうか、お隣さんストーカー被害に遭ってたのか…ってちょっと待った!
「ま、待って下さい帯刀さん!」
窓から叫ぶとお隣さんがこちらを向いた。
「今すぐそっち行きますから! それ俺の幼なじみです!」
急いで背広を着直し、玄関から猛ダッシュして外の街灯の下へ行く。
「キョ、キョン君ー」
柔道県大会一位の腕前で押さえられている体がよっぽど痛いのか、一樹が涙目で助けを求めてきた
事情を説明すること十分、やっと帯刀さんに納得してもらい、捕らえられた古泉一樹青年は解放され、幼なじみの人をごめんなさいね、と謝る帯刀さんに、こちらこそ一樹がお手数かけまして、と頭を下げて別れた。
帯刀さんがそのまま家に入るのを見届けて、一樹に向き直る。
「さて、一樹…いや、古泉? 何をやっているんだお前は」
「い、今の人、お隣さんですか!?」
「ああ、そうだ。言っておくがあの人はラブラブな彼氏が下の階にいらっしゃる。彼女にしようと思っても無理だぞ」
「いや、それは分かっているんですが…あなたは?」
「はぁ? 何を聞いているのか分からんぞ。もう少しはっきり質問しろ。というかその前に、何やってたか答えろ」
「いえ、それよりも、あなたは彼女のこと、そういう意味では好きではないのですか?」
…いきなり何を言い出すんだお前は。俺が好きなのはお前なんだがな。
「そんなわけないだろ。それより答えろ、とっとと!」
「あう…はい。キョン君の部屋を見てました…」
…は?
「なんでだ」
「い、言えません」
「酒が惜しくなったか? だが残念だったな、あの酒は全て俺が頂いた。返せと言われても返さんぞ」
「ち、違います! キョン君が…キョン君が、気づいてくれないからです!
僕、彼女に捨てられたって…言ってたのに!」
「ああ、振られたんだろ? それがどうした、それより早く帰って会長を安心させてやれ、何捨てられた犬みたいな…」
そこまで言って、俺は唐突に気づいた。街灯の下に立っている一樹。顔はくしゃくしゃで、なぜか今にも泣き出しそうな表情をしている。
まさに、『捨てられた』動物のような顔を。
「………」
まさか。
まさかまさかまさか、まさか。
「一樹、お前…」
お前、ずっと俺に、拾われに来てたのか。
彼女に振られたとは決して言わず、捨てられた、だの何だのと言っていたのは、俺に、捨てられたからどうか拾って下さいと、訴えかけに来ていたのか。
俺が何を言いたいのか察したのだろう。一樹が情けない顔のまま、はい、と頷く。
目眩がした。ちょっと待て。ちょっと待てお前。確かにお前を俺は拾ったが、お前を引き取ったのは父親のはずだ。なのにどうして俺? ついでになぜそんなに分かりにくいんだ? おかげで俺は貞操まで失った挙げ句、無駄な苦悩をしたんだぞ?
「僕は、父のことが嫌いではないです。ちゃんと父だと思っていますし、再婚も…もうこんな年ですから、分かっているつもりです。
でも僕は、それよりあなたの傍がいい。そんな自分を忘れたくて、知っての通り男女交際も何度かしてみました。でも、何度も捨てられて…」
一樹がしゃくり上げる。そして続けて何か言葉を紡ごうとしたところを、俺は手を挙げて遮った。
「…古泉。いや、一樹」
「は、はい」
「俺はな、自分の持ち物が、他人と共有されるのは嫌なんだよ。会社の備品はいいにしてもな」
「へ…?」
「とくにだ。彼女を作ったり、嫌なことの慰めに使われるのはかなり嫌なんだ。気に入っていれば気に入るほど」
「…そ、それは」
「それでもいいのか。お前は。
言っておくが、お前は気づいてないかもしれんが、わざわざ俺に拾われなくとも、お前の居場所はいっぱいあるんだ。会社もお前がいないと回らないし、会長はお前を目に入れても痛くないほど可愛がってる」
「はい」
「それでも、俺がいいのか?」
「…はい!」
一樹の瞳から、大粒の涙があふれ出る。笑うのか泣くのかはっきりしてほしいが、俺だって泣いてはいないけれどなんかもう訳が分からないことになっているんだからおあいこだ。
「じゃあ、俺に言う事は?」
こみ上げる喜びのまま、にっ、と笑って手を差し出すと、一樹はぎゅっと握り返してくる。
――どうか僕を、拾って下さい。
まるで幼い頃、街灯の下で縋り付いてきた時のように。
一樹は泣きながら、笑ってそう告げたのだった。
END
↓反転で後書きです。読んでやろうという方はどうぞ。
投下した時の絵チャットに参加していらっしゃった方々に捧げます。どうぞ、煮るなり焼くなりして下さいませ。
読了ありがとうございました。ブラウザバックでお戻り下さい。