コール音を三回、四回、五回。次いで留守電の声が流れ出す。そりゃあそうだろう、今古泉は仕事中だ。携帯が鳴っては洒落にならない事もある。俺はそれを分かっていてかけたのだ。お決まりの文句の後のツーという音にふう、と溜息をついて告げる。
「今まで世話になったな。ついでにちょっと死んでこい。以上」
そしてその携帯の電源を切って古泉のメモリを消してそんでもって一つ横の行のメモリも消す。我ながら何やっているんだと思うが仕方ない、手が勝手に動いたのだそういうことにして欲しい。
そして俺は新幹線に乗って地元に帰り、僅か三日後にその地元の慣れ親しんだ山の中、後を追いかけてきた古泉から絶賛逃走中である。何故かは俺も知らん、古泉に聞け。
「待って下さい、待って下さいキョン君ー!」
このような状況下、待てといって未だかつて正直に待った奴がいるだろうか。叫ぶ古泉を後ろに俺はとりあえず走る。今まで古泉の部屋で地味に作曲だの何だのと室内生活を送っていたせいで減衰した筋肉が結構な苦痛を訴えてくるがかまうものか。それにめげずに追いかけてくる古泉も相当疲れているだろうに執念深い奴であるが、そろそろ見逃してくれないものかと思えばなんとか古泉はすっころんでくれた。商売道具の顔に傷がついていないことを祈る。そうでないと後味が悪いことになるからだ他意はない。
「絶対に、絶対に、僕は諦めませんからねー!」
多分事情を知らない第三者が見たらとても可哀想な人に見える古泉を尻目に俺はかけ出し、奴をやっと振り切ったのだった。家に帰ると妹が何してきたの、と首をかしげたが、元彼氏から逃げてきましたなどと言えるわけがないので黙秘した。
そして翌朝、新聞取ってきてー、という妹の願いにより外に出ると、門の前に古泉がいた。しまったこの手があったか。
「キョン君、あの…ふぇくし!」
おいおいここで嚔か。イケメン台無しだろうがと思いながらも、ああしまった門を開けようとしている俺の手よとまれ止まりなさい。こいつに捕まったら大変なことになるんだぞ。いいか感動してはいけないんだ、こいつは俺とはもう何ともないのだ何かあるとしても仕事上の関係だけだそうだろう? だから捕まってはいけないのに何故俺は自らこいつを招き入れそうになっているのだ。
そう無駄な葛藤をしているうちに古泉は嚔と早朝の寒気を乗り越えて俺の手を取って門を開け、妹とお袋をそれはそれは良く回る舌で言いくるめて俺の部屋で氷のごとき笑顔を振りまいているのだった、アーメン。
「キョン君」
なんだ古泉。言っておくが俺はお前が怖くなんかないぞ。ああ怖くない。だって俺は悪くないのだ悪いのはお前だ。
「あの電話は何でしょうか」
「さあなんだろうな」
「留守電を聞いて、急いで家に帰って、どれだけ僕の心臓が縮み上がったと思っているんです?
お願いですからそう意固地にならないで帰ってきて下さい」
嫌だ。絶対に嫌だ。俺は戻らん。
「何故です。僕は貴方に釣り合うよう努力しました。それが貴方にとってはどうでも良いものだとしても僕は貴方の気に触るようなことはしていな…いつもりです。ええと、少なくとも出て行かれるようなことはしていません」
嘘付け嘘を。お前いつもなんだかんだと我が儘放題だったろ。俺の体の事なぞ考えずにいつもがっつくクセして。
「話を逸らさないで下さい、それにそれは貴方も受け入れて下さっていたじゃないですか!」
恥ずかしいことを言うなこのイケメン野郎。確かに俺は甘かったかもしれん。しかしこれは別問題なのだ。
「知るか。帰れ。お前もう帰れ」
「嫌です帰りません。大体玄関まで貴方連れてきてくれたじゃないですか。あれ僕が寒そうだったからですよね、キョン君の優しさですよね」
「もう暖まっただろ。とっとと帰れ」
「何でですか! せめて訳を聞かせて下さいよ!」
「わけはない。帰れ」
「…分かりました。帰ります」
古泉は立ちあがって俺の髪をさらりと撫で、部屋のドアに向かって一歩進――…まなかった。追いどうした古泉、人の顔をじっと見て。帰るって今自分で言ったろう。
「いやでもですね。その、服を」
貴方の手が、と困っているのか笑っているのかよく分からん笑顔で古泉がそう返す。手? 手が何だっていうんだ、別に何も、といざ確認してみると、………。
「…あーすまん。外して帰れ」
俺の手が名残惜しそうに古泉の服の裾を掴んで引き留めているではないか。なんだこれ。
「そうもいきません。やっぱり貴方、何かあったんですね。何ですか、会長ですか? 森さんですか?」
いや違うそんな事はない、強いて言えば、そう、あの、
「…何か、あるんですね」
おーい古泉君、人の話を聞いてくれ。そんな真剣な顔して俺を見るなキスするな押し倒そうとするな。
「親御さんも妹さんもいるここで抱かれたくなければ話して下さい。大丈夫、痛くはしませんよ」
「な、何も、何もないって…」
そういって避けようとすると運悪く机にぶつかって雑誌が落ちてきた。そんで開くのは今まで無視し続けてきたあのページである。古泉、お前の顔が破かれているが怒るなよ、ちゃんと直してあるんだから。
しかし古泉は怒るでもなくどこか驚いた顔でそれを見た後、
「あの、キョン君」
笑っていいのかなんといのか、と言った顔で見つめてくる古泉。なんだこの野郎。
「言っておきますけどこれ誤解ですって」
ああそういうと思ってたさ。でもさ、
「誤解じゃないだろ」
ぽろり、と、ついこぼしてしまった一言で、俺の何かが決壊する。
「じゃあ何で笑ってるんだよ肩抱いてるんだよ、楽しそうにしてるんだよ。
しかも高級レストランとかなんだそれ。疑惑否定もしないしあの人俺に電話かけてきてお宅の古泉君に迷惑かけたみたいでごめんなさいねとか彼女みたいに言うんだぞ。もうわけわからん本当にわけ分からん」
「あ、あのキョン君、落ち着いてくださ、」
「気にしなくていいとかお前がいうの分かってたしお前が俺を好きなのも知ってる。でも俺男だし女にはかなわんし仕事中でお前は携帯に出ないし、いやそれ分かっててかけたんだけど」
「え、あの、あの」
「それはいいんだそれはいい。でもなんかそれぐらいでこのページのあの人の顔やぶったりお前のメモリとあの人のメモリ消したりとか、なんていうか、」
俺が一番わけ分からん。
その一言を聞いてぽかんと呆気にとられる古泉の顔がいたたまれない。
説明しろ古泉、これもうなにか説明しろ。お前俺のことなら何でも分かるんだろ。そういってたろ説明しろ。笑ってないで何か言え。
「ああ、すみません。でも僕にはそれ、愛の告白にしか思えないんですよ」
愛。愛の告白。
古泉の唇でもって紡ぎ出された一言にもう俺の顔やら何もが一気に火照って溜まらない。こらちょっと待て落ち着け心臓。そのうち爆発しても知らんぞこら。
「ええっとですね、なんというか…その、誤解は時間をかけて解きますから。僕が愛しているのは貴方だけで、彼女とは仕事上の付き合いそれだけです。言っておきますが僕はむしろ貴方が浮気しないかいつも戦々恐々としているので貴方が僕を嫌いにならない限り僕らはずっと両思いですよ」
甘い台詞を囁かれてきゅっと抱きしめられてキスされて、ああもうどうしたらいいことやら。俺はどこぞのヒロインか。
ん。しかしだな、ちょっと待てなんだこの下腹部に当たる熱は。
「ええと、とりあえず即物的な証拠が出来てしまいましたのでホテル行きましょうホテ」
「そこでそうなるなボケ!」
とんでもないことを言いだした古泉の頭をはたいてみるが、痛いです、と全く古泉はへこたれない。
それが可愛い俺はもう末期だと思いながら、古泉の顔を引き寄せて今のところはこれでお預けだとその唇に自分の、ああもうあとは察してくれ、だから捕まりたくなかったんだ!
犬も食わない。 終