大浴場に誘おうと部屋に入ったら古泉がブラジャーに埋もれていた。
「…ごゆっくりー」
「あぁあああ! 待って下さい! 待って下さいキョン君ー!」
いやいや古泉、俺はこれでも一応気を遣っているんだぞ。SOS団で温泉旅館に来た先でブラジャーに溺れるぐらいブラジャーが好きとは。いきなり入って悪かったな、これからはノックをするよ。
「ちーがーいーまーすー! これは間違いなんですー!」
古泉が必死にブラジャーで滑りそうになりながら這い出てきてUターンしようとした俺の肩を掴む。間違い? どんな間違いがあってお前はそんな状態になっているんだ。どこをどう考えてもブラジャーに体を埋めて喜んでいる変態にしか見えなかったぞ。
「そんなわけないじゃないですか! どちらかというと今のキョン君の浴衣姿のほうが僕にとっては至福、ぐふぅ」
おお決まった決まった。もしもの時に備えて蹴りを練習しておいた甲斐があった。カズマと劉鳳に感謝だな。
「何ですかその古いネタ。大体カズマだったら拳じゃないですか」
食らいたいか? あれをイメージして鍛えた俺の拳。
「いいえ。…ってそれより、誤解なんですって! 僕がブラジャーが好きなわけないじゃないですか! これは布団を敷いておこうと思って押し入れを開けたら勝手にこぼれ落ちてきたんです!」
なんだそれ。もっとマシな言い訳を考えろよ頭が良いんだから。とにかくじゃあな。
「ちょ、ちょっと待って下さい−!」
肩の手を振り払って廊下に一歩踏み出した古泉の声と共に、ずるり、と何かが滑った音がして。
振り向いた俺は古泉と気持ちいいぐらいの勢いで顔面衝突し、そのまま十分ほど伸びる羽目になったのだった。
*
その小さな紙切れを振ると、ぴらり、と軽やかな音がした。
『ジュエリーブランドRISU 領収証
森 様
品:生活用品』
ふむふむ。つまり、機関の経費でここぞと言わんばかりに女性構成員の下着を買い込んだ森さんが、機関所有の旅館を倉庫にしてそのまま忘れ、古泉がブラジャーに埋もれる羽目になったと。
「…あーなんというか、古泉すまん」
「いえ誤解が解けたならそれで良いんですが…」
この状態どうしましょう、と古泉が苦笑する。
古泉よ、その表情は止めないか。気持ち悪すぎる。
「それを言うなら貴方もそのむっつりした顔を止めて下さい。ここだけの話、僕そういう顔をあまりした事がないんです。生来笑顔をモットーとしてきたもので」
そういわれるとどうしようもなく、頬を軽くかくとミルク色の髪が指に軽く絡んでさらりと流れていった。
『転校生』という映画を知っているだろうか。転校してきた少女と体が入れ替わってしまうというストーリーの恋愛映画である。
そして俺の目の前で困り笑顔をさらしているのは古泉一樹ではあるが、その姿はいつも鏡で見ている平凡な男子高校生、すなわち俺のものである。
そう、俺と古泉一樹は、頭をぶつけるという実にベタな方法によって中身が入れ替わってしまったのである。
「どうしましょうか…。長門さんに一応メールを送ったところ、そのうち戻るとの事でしたので…一応は安心ですが」
「どうもこうもないだろ。森さんにはブラジャー回収の依頼メールでも出して、俺たちは風呂に行って入って寝る。それが最善だ。あと三十分もすれば誰もいない時間帯だし、変な行動してても良いだろう。24時間営業の温泉で良かったな」
「そうですか…一応もう用意はしてありますし、じゃあそれまでボードゲームでもしていますか。
あ、でもその前にちょっとトイレに…」
「何するつもりだ? 古泉。言っておくが俺の体を使って変態行為に及ぼうとした場合、俺はお前の顔を戻ったあと思い切り殴り飛ばす」
「……オセロで良いですか?」
「よし」
オセロは五戦ゼロ敗。体が入れ替わっても頭の作りは変わらなかったらしい。理系のくせに弱いなあと笑い飛ばすと、こういう方には思考が回らないんです、と拗ねていた。俺の顔で拗ねてもやっぱり気持ち悪かった。
温泉は絶品だった。古泉の体には相当疲れがたまっていたらしく、いままで経験した事のない勢いで体がほぐれてゆくのを感じた。
そうだよな古泉も大変だよな、とゆっくり湯船につかっていると俺の体を鏡に映して古泉が興奮しやがったので殴り飛ばし、おとなしく体を洗わせて湯船にも浸からせて上がったまでは良かった。良かったのだが、その衝撃は脱衣所でやってきた。
「ねえねえキョン君、見て下さい」
嫌に上機嫌な古泉が俺の体の胸に何か当ててこちらを向く。
胸に当たっていたのはブラジャーだった。
「―――何考えてるんだお前はー!」
「いやこの機会ですし、どうせなら普段見る事の出来ないキョン君の格好を見ようと思いまして」
その顔で笑顔になるなブラジャーを胸に押しつけるな鏡を見ようとするな気持ち悪い!
「おとなしく普通に服を着ろこの馬鹿超能力者! さもなくばこの体でストリップショーを敢行してくれる!」
「その場合恥ずかしいのは貴方ですしー」
なんだとこら、とにかくそれを離せ!
そう言って手を伸ばして古泉が高く掲げたブラジャーに手を伸ばす。ふふんぬかったな、いつもと違って今は俺のほうが背が高いんだよ!
ブラジャーをこの手に掴んだその時、ずる、と床で滑る感触が足を伝わり、俺は再び古泉と顔面衝突してしまった。
*
くすぐったい。少し温度の低い手でさわさわと頬を撫でられ、胸を撫でられて、体の火照りが静まる気がする。
そして項に柔らかい感触。うっすら目を開けると、ミルク色の髪が目に入った。
「古泉、お前何やってるんだよ」
「おや、お目覚めですか」
「ああ」
覆い被さっている古泉の胸を押して起き上がらせ、俺も起き上がる。てめえ人が寝てる間に何やってやがったんだ。
「いやあ、何、と言われるほどの事もないですよ。少しブラジャーをあてがってみたぐらいですか」
古泉一樹よ、お前には二つの選択肢がある。土下座するかブラジャーで絞殺されるかだ。
「すみませんでした」
なら許してやろう。それ以上変な事もされてないようだし、ちゃんと俺に浴衣を着せたようだからな。
「はい。ありがとうございます」
うむ。それでよろしい。
「じゃ、つきましてはご褒美が欲しいのですがね」
「…この変態」
「承知してます」
ゆっくりと古泉に押し倒されながら、やはり布団を敷いていたのはこのためか、と心の中で毒づく。やっぱり浴衣は良いですね、だと? なにほざいてやがる、全くこの変態男めが。
しかしこの変態に今そういう行為を許している自分も変態なのだろうと、キスを落としてくる古泉を受け入れながら、俺は深い溜息をついた。