Candy Orange

 じゃあこの飴をあげます。泣き止んで下さい。
 そう言われ、オレンジ色の飴玉を渡されたのは、遠い昔の事だった。
 ミルク色の髪のその人に抱え上げられ、俺は素直に飴玉を口に含んで転がした。
 その色と同じ味をした飴はとても美味しくて、思わず泣き止んだ俺を、琥珀の瞳がのぞき込み、綺麗な笑顔が俺の目の前に広がったのを、俺は今でも覚えている。

 *

「古泉ー。夕飯出来たぞー」
 リビングの机に食器を並び終え、そう階上に呼びかけると、バタン、と騒々しくドアが開く音がして、そのすぐ後に転がり落ちるような勢いで駆け下りてくる音がした。
 おそらくはその勢いのまま飢えた相貌をたたえて駆け込んできた髪ぼっさぼさ、髭面でないのが唯一の救いのようにすら思える格好男が机の上のものを目にして嬉しそうな顔をする。
 今日はドリアだ。しっかり食えよ、締め切り明日なんだろ?
 そう呼びかけるとにこっと微笑んでありがとうございます、と蚊の鳴くような声で礼を言って我が養父古泉は手を合わせてドリアに箸をつける。
 その様子たるや犬の食事を彷彿とさせるような勢いであり、こいつまた俺が高校に行ってる間昼飯取らなかったな、と溜息が出る。冷蔵庫に作り置きのものが残っていたから予想は出来たが、小説家というものは皆こうなのだろうか? 俺も向かいに座って食事をするが、いくら育ち盛りといっても奴の勢いには勝てない。
「美味しかったです。ごちそうさま!」
 古泉はあっという間に食べきり、手を合わせると、じゃあごめんなさい籠もりますね、と言ってまた上に駆け上がっていってしまった。
 俺は溜息をついてドリアの残りを食べきると、食器を重ねて台所へ持って行き、スポンジに石鹸をつけて洗う。この作業も慣れたものだ。俺がこの家に来て家事を始めて十年も経つのだから。
 両親は交通事故で死に、6歳にしていわゆる孤児となった俺を引き取ると言いだしたのは、遠縁だという十四歳上の駆け出し小説家だった。
 他の親戚は経済的に俺を引き取る事がなかなか出来ない状態で、俺はまだ大学生でもあったその男が1人暮らしていたこの家に引き取られた。しかし引き取られたはいいものの、古泉一樹という名のその小説家の生活態度たるやすさまじく、遅寝遅起きは当たり前、部屋の掃除それって何美味しいのといった感じで、一応一日三食俺のために作ってくれはしたもののかなり酷かったため、俺がたまらず家事を手伝い始め今では家事全般を俺が受け持っているという状態なのだ。それ以前の古泉の生活は良くあれで成り立っていたものだと思う。
 遠縁とはいえ高校まで入らせて貰っているのだから俺に文句を言えた話ではない。言えた話ではないのだが、今や売れっ子小説家とはいえもう少し生活態度を改めてくれないものだろうか。帰ってきて冷蔵庫を確認し、作り置きの昼飯を急いでかき込まねばならなかった俺の事も考えて欲しいものだ。
 ついでに明日の朝食も作っておく。ラップをして冷蔵庫に入れておけば後はレンジでチンするだけだ。
 夕飯の片付けを終えると後は風呂場の掃除である。かろうじて三十路のおっさんとしても漂わせてはいけないニオイはしていないものの、紙のニオイやらパソコンのニオイやら、仕事部屋につまったあれやそれやの芳香を古泉からそぎ落とさねばならない。
 さっさかと十分ほどでそれを終え、録画しておいたテレビ番組を眺めながら課題を済ます。丁度ペンを置いたところで風呂が沸いた事を知らせる電子音が鳴った。
「古泉、風呂だぞー」
 リビングの脇、廊下を挟んだところにある階段の下の収納から古泉の着替えを出し、脱衣所のカゴに放り込んで階上に声を掛けるが、今度は返事がない。これもいつもの事だ。たまにタイミング良く古泉の集中が切れた時には先ほどと同じく転がるようにおりてきてくれるのだが、食事と違い風呂は優先度が低いらしく、集中しているとうんともすんとも言わない。
 溜息をついてリビングの隣の自分の部屋に戻り、適当に買ったので正直あまり気に入っていない寝間着を取り出す。古泉が以前珍しく選んで買ってきた寝間着は旅行用鞄に詰め、起きた時に着る予定の服も用意しておく。
 風呂に入って体を洗い、脱衣所で体を拭いて服を着る。髪を拭きながらリビングに戻ってテーブルの前のソファに座り、テレビをつけ、ふう、と一息ついたところで、古泉がさっきよりは幾分か落ち着いた調子で階段を下りてきた。風呂沸いてるぞ、というと、はい、と言ってリビングに入ってくる。
「どうした、古泉…」
 顔を上げると、ばらばらと目の前のテーブルにセロハン紙に包まれた飴玉が落ちてきた。
「担当さんから貰いました。どうぞ」
「ああ…ありがとう」
 せめて何か入れ物に詰めて貰えないだろうか、と思いながら風呂へとふらふら歩いてゆく古泉を見送り、飴玉を集めてテーブルの端に常備してある籠に入れる。
 その中から三つ適当につかみ取って一つを口に入れると、リンゴの味がした。
 少し味が薄い。天然水使用の云々かんぬん、といったところだろうか。
 それを舐める。薄くなって芯のような味の濃い部分が出て、それもずっと舐めているとなくなった。
 暫くぼんやりとテレビを見ながら、他のピーチ味、ブドウ味のものも舐めて溶かして食べてゆく。
 食べ終えて少しして、ふと思った。オレンジ味のものはないか。天然水使用でもなんでもいい、オレンジの飴はないか。
 籠を引き寄せてオレンジ色のものを物色する。10個ほど見つかった。早速一つ口に入れ、他は寝間着のポケットに入れる。
 口の中の飴がなくなったところで、さて部屋に戻ろう、と立ち上がろうとしたところで、いきなり耳を舐められた。
「あ、っ…!」
「…キョン君」
 古泉の囁く声。その中に含まれるどこか剣呑なものに俺の体が震える。風呂から上がったばかりの香りがあたりに充満するように感じた。
 肩を掴まれ足の間に膝を割り入れられ、そのままソファーに押し倒される。
「こ、古泉…!」
「…ねえ。昨日から、何を準備しているんですか…?」
 怒りだかなんだか分からない、けれどなにか恐ろしいものをはらんだ瞳が俺を射貫く。ひ、と小さく声を上げると、くす、と冷たい笑みを浮かべて古泉は俺の項にキスを落とし、服の裾から手を入れて脱がし始める。
「やめて、やめてくれ古泉…」
 そう言っても古泉は止めようとせず、容赦なく俺の体を昂ぶらせてゆく。それを止めようともがいても何も出来ない。
「気持ちいいくせに」
 初めてじゃないんですから、もう少し素直になってはどうです? と、古泉が笑う。
 どうして、涙目になりながら体をよじるが意味がない。さらに体が昂ぶるだけだ。
 どうして俺が出ていこうとしている事がばれたのだろう。入念に準備したはずだ。俺の部屋には鍵を掛けておき、さらに旅行鞄はクローゼットにしまっておいたのだ。
 古泉に抱かれたのは一昨日の事だ。今みたいに寛いでいたところをいきなり襲われ、幾度も昂ぶらされ、貫かれた。痛いはずなのに快感すら感じるようになってしまって、俺は泣いて、そして啼いた。
 理由は古泉の性欲処理だということは分かっていた。だってその後古泉は言ったのだ、このごろ何もしていなくて、我慢が出来なかったんですと、こちらを向かずに言った。だから俺は出ていこうと思ったのだ。
 水音を立てて古泉が俺の耳を舐める。胸、腹、そしてその下と順繰りに舐められていって、俺はたまらず声を上げる。心は軋むのに体は古泉に従い、快感を求めて腰をくねらせる。
「長門さん、でしたっけ。貴方が泊めて貰おうとしていた方。随分親しいようですが、彼女の従兄弟は僕の担当の方でしてね。今日の昼、もう少しコミュニケーションを取ったらどうだ、と知らせて下さいましたよ」
「…ッ!」
 その台詞と同時に古泉は俺の前を掴んで扱き立てる。既に反応していた俺は声を上げて軽く達してしまう。
 ふふ、悪い子ですね、と囁く古泉の言葉に胸が痛む。
「駄目です。絶対に駄目ですよ。貴方は相当本気で僕から離れたかったようですが…駄目ですよ。出ていくなんて許さない」
 後ろに指が差し込まれて俺は声を上げる。
「ちが…あ、あぁ…!」
「ならなんだっていうんです」
 更に弄られて俺は応える事が出来ず、ただあ、あ、と声を漏らすだけ。何が違うのかもよく分からない。でも何か違う、はずだ。
 一昨日、行為の中で俺は気づいてしまったのだ。俺は古泉が好きだ。古泉とするこの行為は俺の中の悦びをかき立て快感を引き出す。それもこれも相手が古泉だからだ。
 けれど俺にとって古泉は長年を共に過ごした家族でもあった。その上古泉にとってこれは性欲処理ときた。
 だから、耐えられないと思った。身寄りのなくなった俺を引き取ってくれた古泉との日々を汚すような浅ましい欲望にも、俺を性欲処理のために襲った古泉にも、その時のまなざしにも、それでもその後丁寧に体を拭いてくれた古泉に優しさを感じ、性欲処理でも良いと思ってしまう俺自身にも、このよく分からない関係にも。ほんとうにどうなってしまうか分からなくて怖かった。長門に連絡を取り、しばらく置いて貰うことにして、離れた状態で考え直そうと、ただそう考えていたつもりで、他は何も考えていなかったのに。
 悲しいのか悔しいのか、それとも嬉しいのか、俺の目から涙が出る。ああ、と啼いて腰を振らした拍子に、ずり下げられたズボンのポケットからオレンジ色の飴玉が転がり出る。
「おや、…丁度良い」
 古泉が片手で俺を弄りながらもう片方の手でそれを拾い、歯と手でセロハンを外し、口に含む。
 そのまま古泉は俺の唇に口づけを落として飴を俺の口の中に移動させる。じわり、とオレンジの味が口の中に広がる。
 古泉はそれを俺の舌の上に置いて唇を一旦離し、首筋、胸、と様々なところを舐め始める。俺はそれを、口の中の飴をなめながら見ていることしかできない。
「ふふ、泣き止んだ。可愛いですよ、キョン君…」
 覚えてるんですね、と嬉しそうに笑う古泉はそのまま俺に熱を突き立て、俺はあえぐ。 何度も何度もイかされ、中に熱いモノを叩きつけられ体を舐められ暴かれ、ぼんやりとした意識の中、それでも飴の味は消えない。世界が曖昧になっていって、もう抵抗も出来ない。
 愛しています、キョン君。君は僕のものだ。
 溶けて消えた飴の味を口の中に感じながらそう囁かれて、俺の頭のどこかで何かが砕け散り、俺は古泉に手をのばす。ああ駄目だ、もう逃げられない。

 もう一度与えられたオレンジ味は、どこか苦くて、それでもとても甘かった。


END

↓反転で後書きです。読んでやろうという方はどうぞ。
紅月さんのところで奪い取ったお題にて書いたもの。『舐める』というお題が…わぁ、いつの間にか十八禁☆いや十五禁?
 紅月様、なんか不審な行動してすみませんでしたです。絵チャット中には書き上がりませんでしたが、とりあえず絵チャットでの捧げ物ということで。
 あの時の絵茶にいらっしゃった方のみお持ち帰り自由です。煮るなり焼くなりして下さいませ。


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write:2009/03/12―2009/03/14